エホバの証人のものみの塔ゲーム、組織の言うことは絶対!
昨日の記事で、エホバの証人は我々の死を待ち望んでいると書いた。ゆえに、エホバの証人に宗教的多様性を認めたり、寛容さを示すべきではないと。
しかし、エホバの証人がいくら我々が殺される日を待ち望んでいるとはいえ、それはハルマゲトンという妄想上のこと。単なるお花畑思想なので、目くじら立てず生暖かい目で見守れば良い。それが寛容さだという考え方もある。
それが甘いというのが今日の話。そしてその寛容さは表面的になものに過ぎないというのが明日の話。
エホバの証人を看過することの甘さ。
エホバの証人は、ハルマゲドンが起こらないのなら、自分たちで起こす可能性がある。というか、ハルマゲトンなど永遠に起こらないので、自分たちで勃発させる可能性が高い。
基本的にエホバの証人は神の介入を待つことになっている。しかし、その神というのが存在しない。エホバの証人は組織そのもの、ものみの塔協会を神と誤認し崇めている。
組織の言うことは絶対!のものみの塔様ゲーム中なのがエホバの証人。
エホバの証人の戒律は、組織の権力を掌握する者によって時代とともに書き換えられている。その権力者がトチ狂ったことを言い出したら?
砂上の楼閣「ものみの塔」の変遷~ラッセル原理主義者から見るとエホバの証人は異端
“エホバの証人は単なる妄想族だから見逃すというのは甘い” の続きを読む