カルトが少年の心を犯す
昨日の続き。『19歳 一家四人惨殺犯の告白』から。
本書では、9歳当時の犯人が、激しくエホバの証人に洗脳されている様子が伺える。聖書だかものみの塔本だかを父親に破られたことを
教えを知る者ならだれでも気が狂ってしまうほどの罪
と書いている。単なる本なのに、まさに気が狂っている。エホバの証人たちはものみの塔発行の書籍を丁重に扱う。そのエスカレート版が少年の頃の犯人の心境になっている。どこまでも燃え上がるカルト。
さらにカルト感は増す。
教えを受けた信者には、たとえ家の命令とはいえ、神に背く行為は裏切り者として背教者になることだときびしく言われていました
エホバの証人は、少年だった犯人に無駄に罪悪感を抱かせている。
誰ひとり救わない宗教、エホバの証人
犯人はエホバの証人に関して次のように書いている。
惜しむべきは、中途半端なまま引き離されてしまったことであり、できることならずっと学んでいたかったとそう思います。確かに神を信じ、敬っていたあの頃の気持ちが、踏みにじられることなく、どこかに残っていたならば、その後(19歳)の時のあの神をも恐れぬ所業の数々を少しは抑えることが可能だったのではないか
エホバの証人が彼の罪を抑止できたかどうかは定かではないが、いずれにせよ、犯人のただの現実逃避。
とはいえ、中途半端で信仰を打ち切られることを制止出来なかったのが、エホバの証人。自称、唯一無二の真の宗教。そして、無残な結果を迎えている。全知全能神のエホバを掲げているのに、何とお粗末なことだろうか。
さらに、エホバの証人にまつわる皮肉な話がもう一つ。
犯人は事件当時、千葉県船橋市のアパートに住んでいた。このアパートから目と鼻の先、徒歩4分350mの距離に、エホバの証人の王国会館がある。犯人が実際に住んでいたのは20年以上前で、当時から王国会館があったわけではないのかも知れないが・・・。
とはいえ、幼少期から犯人のすぐ近くに自称真の宗教エホバの証人があったことは事実。そして、エホバの証人という宗教は、事件の関係者を誰ひとり救わなかったのもまた事実。
作者はこう書いている。
暴力否定を貫くエホバの証人に見せられた光彦が、後年、陰惨ないくつもの暴力事件を引き起こし、ついには四人殺害にまで及んでしまった事実は、皮肉では片付けられない、あまりにも重い人生の暗転
光彦というのは犯人の名前。この本の筆者は、エホバの証人が暴力を否定しつつ、子どもへの体罰を推奨していた事実を知らないのだろう。
エホバの証人の子ども同様に、親に暴力を振るわれていた犯人が、後年その暴力を外部に向けた。そして、圧倒的な悲劇が起こってしまった。