エホバの証人とその擁護者の用いる詭弁
「日本のエホバの証人公式ウェブサイト」にある専門家の意見書。昨日の記事の続き。宗教虐待Q&Aに関する専門家の意見書というページに、長崎大学教育学部の池谷という准教授の意見書が掲載。
「宗教の信仰等に関する児童虐待等への対応に関する Q&A」という宗教虐待Q&Aのタイトルについて、
ガイドラインの名称自体が,宗教的信条や宗教団体のみを対象としているが、児童虐待かどうかは、そもそも行動の動機となった根本的な理由 (宗教的か非宗教的か)に関係なく親の行動に焦点を当てるべき問題である。にもかかわらず、「宗教の信仰」のみを取り出して児童虐待を論じていること自体、「宗教は悪であり要注意だ」という意図が非常に伝わってきており違和感がある
違和感ないだろ。そもそも、問題は「宗教の信仰」でなくて、児童虐待を行う「カルト宗教の信仰」。そして、「宗教は悪であり要注意」でなく、「カルト宗教は悪」で「宗教には要注意」。
エホバの証人やその擁護者は、この詭弁論法を良く用いる。「他にもっと巨悪があるから、自分を見逃してくれ」っていうの。他の巨悪は関係ないって、今はお前の悪事の話をしているんだよ。
様々なモノを一緒くたに取り締まることができないから、細部のもっとも問題の大きなところを改善しようとしているだけ。
児童虐待という大きな括りでの改善は、家庭内の問題でもあり困難。よって、組織的体系的に行われてきた宗教虐待問題に切り込んでいる。その中で最もやり過ぎている宗教のひとつがエホバの証人。至極マトモな問題解決アプローチ。
エホバの証人擁護の意見書、まるでゴミ
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