素晴らしい理想と正反対のものみの塔
『良心の危機』、第11章「決心」。散々、不快感を表明した本章なのだが、良いことも書いてある。著者の持つ理想的な組織像、リーダー像。
著者の望む組織の仕組みは
みんなを成長させ、他の人間や組織体制に頼るような霊的に幼い人間ではなく、成長したクリスチャンとして行動できるようにするためのもの
ところが、エホバの証人の実情は「思考を止めて退化させ、他の人間や組織に依存する幼稚な人間を量産するところ」。
著者の望む組織は
組織体制の規則に従うだけの人間を作ることではなく、「自分の知覚力を訓練し、正しいことも悪いことも見分けられるようになった」人間を育てるもの
エホバの証人の現実は「組織の規則を妄信し、家族や命まで軽視する人間を育てる集団」。
著者の指導像は
「指導する」やり方は模範を示すことによってであり、神の言葉に忠実に、主の指示を主自身が与えたようなやり方で説き伝える
というもの。
主というのはキリストのことだろうか。キリストは一世紀にいきなり現れて、神の子を名乗って世界をしっちゃかめっちゃかにして去っていった。世界に争いの種を蒔いただけとも言えるし、権力者にキリスト教という飛び道具を与えた結果、現在の秩序が生まれたとも言える。
「終了した秘儀」からの「万民キャンペーン」、そしてマインドコントロール
著者にもぜひそんなやり方で、ものみの塔をかき乱して欲しかったのだが、常識的一般キリスト解釈のもと、著者は慎み深く模範を示した程度。そんなものはカルトの闇の中では線香花火のようなものに過ぎない。儚くすぐに消える。
そして、そのカルトの指導体系は
人間の作った組織に都合の良いようにその指示を「合わせ」たり、世の中の権力者がするように「自分の権力を感じさせる」
※その指示というのは「主」の指示
というもの。
もはや、ものみの塔の逆を行っておけば間違いない。組織、仕組み、指導、そういったものは、ものみの塔の反対が正解。
そして、人生、宗教も。ものみの塔の真逆が正解。なぜなら、仕組み、組織が間違っているから。間違った仕組みのモノから正常なモノが出てくる訳がない。
人間は復活しないし永遠に生きたりしない。安易に神や組織に生涯を捧げたりするのは厳禁。人生は一度きり、人生の投資配分は自分の意思で決めるべき。一択ものみの塔とか一択カルトは一番ダメな選択。
宗教の選択も簡単。ものみの塔的なものは邪教、カルトと捉えればいい。ものみの塔的なものとは、人生フルベットを要求してくるもの。そして、事細かなルールで自由を制限してくるもの。