エホバの証人という壮大な人体実験
エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)の『欠陥翻訳ー新世界訳』から。エホバの証人が使用していた旧1985年版の新世界訳聖書について。
第5章『聖書の翻訳と教義』の後半部分より。
聖書とキリスト教が抱える根源的問題を簡潔に指摘している。聖書の解釈に<絶対的な基準はあるか>の項。
聖書が解釈を待つ本
であり、
「聖書解釈の絶対的な基準はない」
という結論。これは宗教上の真理という幻想が持つ性質による。
科学的実験は繰り返せば真偽の確認ができ、絶対的な答えが導かれる、と述べた上で宗教上の真理は違うと続く。
道徳や戒律、規則であれば、守ってみて、本当に人を幸福にするものなのか、人間にとって必要なものなのかどうか、確かめることができな いわけではないが、それでもかなりの個人差がある。
宗教上の実験結果が不幸だらけのエホバの証人。エホバの証人は壮大な人体実験の失敗。宗教上の絶対的な真理は導き出せないが、エホバの証人が絶対的非真理であることは、エホバの証人の人間実験で明らかになった。不幸だらけのエホバの証人がそれを示している。
ものみの塔とエホバの証人は普遍的非真理。
キリスト教の普遍的真理を見極める簡単な方法
また、キリスト教の根本的教義は実験すら不可能と続く。それが下記。
- 神の名がエホバか?
- エホバが単一で生存し活動しているか?
- それとも三位一体か?
- キリストは将来目に見える形で再臨するのか?
- それとも1914年から再臨しているのか?
- 死者は復活するか?
- 天国や地獄はあるのか?
実験不可能だが、ある程度の考え方は可能。エホバの証人の言っていること、ものみの塔の逆を正としておけば、概ねハズれない。その理由は以下。
ものみの塔=絶対的非真理であることは壮大な人体実験の結果が証明している。ということは、ものみの塔の主張は全否定しておけば概ね問題ない。ものみの塔は非真理なので。これでキリスト教の根本的教義の普遍的方向性は見えてくる。
- エホバという神はいない
- 神は三位一体である
- 1914年にキリストは再臨していない
私はこの方向性でキリスト教を規定している。そもそも正しいキリスト教を知らず、新参カルトのエホバの証人から引きずり込まれたので、ものみの塔の教理しか知らないのだが。
しかし、ものみの塔はカトリックやプロテスタントと自教理の違いを説明しては悦に浸っている。親切なことに、自らの間違いをわざわざ晒してくれている。
ゆえに、ものみの塔が否定する三位一体は正しいのだろうと私は理解している。まあ、キリスト教の神の名前やその神が三位一体だろうが単独存在神だろうが、私にとってはどうでもいい些細な問題なのだが。
ものみの塔=非真理、ゆえにものみの塔教理全否定は乱暴だが、楽でいい。子どもの頃、下らないこの非真理の押しつけで苦労したのだから、キリスト教関連問題は、これくらい簡単に楽に解決させてもらっても、寛大な神であれば見逃してくれるだろう。
“エホバの証人の壮大な人体実験が導き出した、キリスト教の普遍的真理” への1件の返信