私の行動原則、エホバの証人教理は否定しとけば間違いなし
2017年2月「ものみの塔」(研究用)『今日、神の民を導いているのはだれですか』。この塔記事マジメに読んじゃった。頭悪くなるから、こういう悪書は読まない方が良いのだが・・・いろいろツッコミたい所があったので仕方なく。
大いなる矛盾、12節で
統治体は霊感を受けているわけでも、完全であるわけでもありません
と書いてある。んっ!?完全でない設定なのは知ってる。予言解釈をハズシたとき用の保険。ところが「霊感受けてない」には引っかかる。神の霊感を受けてないんだったら、天気予報してるのと何が違うの?統治体の聖書解釈の予言は「当たるも天気占い、当たらぬも天気占い」レベルじゃん。
しかし、続く13節では
統治体は聖霊によって、かつては理解していなかった聖書の真理を理解するよう助けられてきました
霊感は受けていないが、聖霊の助けを受けていることになっている。何のことだか・・・。一緒みたいなもんだろ。
この節では、聖霊に人格があるかのような書き方がされている。
霊に教えられた
聖書の理解がこれほど早く進んだのは、聖霊の働きによる
聖霊が統治体を助けているという書き方。聖霊が意思を持っているかのよう。聖霊は神の第三人格だったかのはずだから、これは当然。
と思いきや、8節で三位一体を否定している。辻褄が合ってない。
キリストや神が三位一体型なのか否か、私にとってはどうでもいい些末なこと。特に興味もないのだが、「エホバの証人教理は否定しとけば間違いなし」という私の行動原則に照らせば以下の結論。
中東出身の神がもしも存在するのなら、三位一体タイプなんだろうね。どうでもいいけど。このものみの塔誌でも、聖霊に人格があるような書き方をしているし。
“ものみの塔研究を行うと、神が三位一体タイプだと理解が深まる” の続きを読む