エホバの証人よ、神の目を持て
北海道のエホバの証人広島会衆で起きた集団排斥事件の資料より。最後まで読み終えた。資料が進むにつれ、著者のマインドコントロールが解けていく。
資料はここで。エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)
この事件が始まったころ、教義に関する疑問は誰も持っていなかった。悪いのはものみの塔協会の体質であって教義ではない、教えは正しいのだから、やがてものみの塔協会はエホバによって正されるはずであると考えていたからである。ところが去年の秋ごろから、次第に教義もおかしいのではないかと思うようになった
思考の順番として、
- 教団によって酷い目に遭わされる
- 悪いのは教団の人間たち
- 悪い教団の人々に真理がもたらされるはずがない
- 真理じゃなかった
この思考の順番。この順をたどれば、目下絶賛マインドコントロール中のエホバの証人でも解除に至る。とはいえ、1の酷い目に遭うのは避けたいところ。信じていた仲間の信者や組織に裏切られるのは辛いし、大きな傷を負うことになる。
では、逆からいくのはどうだろうか?
そもそもの真理=「エホバの証人の教理」をまず疑ってかかる。発想の飛躍。メタの視点、視点の次元を上げる。神の目を持つということ。
- ものみの塔が真理を語る証拠があるか?
- 統治体が油注がれた者である証拠があるか?
答えはいずれもnothing。
統治体が聖霊を浴びているというのは、全くの自称。自己申告。言った者勝ち。
オレなんか、パチンコ屋に毎日通っていた頃、朝に宣託が降りてきて出る台が分かったよ。夕方にはそれがハズれることが多かったけれど。スパンの差。統治体の予言解釈がハズれたのが分かる頃には、信者は老いたり死んだりして手遅れになっちゃう。
エホバの証人が正しい宗教である証拠など一切ない。予言解釈はすべハズれ、訂正の繰り返し、信者は心身を病み、児童虐待の温床になっている。それでも真理を語る組織と自称するのは、嘘つき。
ということは、エホバの証人は間違った宗教。
偽神「エホバ」と偽りの組織「ものみの塔」
この本では、以下のように結ばれている。
「ものみの塔」が「偽りの塔」に変質した時、「エホバの組織だ」という主張をいつまでも許すことは、神の神性からして到底あり得ない
ゆえに、エホバ神が本当に存在するなら、必ず統治体とものみの塔協会を裁くはず
しかし、ものみの塔も裁かれず、霊的パラダイスも一向に実現しないならどうであろうか。自分のみ言葉であると明言する聖書の中で述べたことを、実際に行なわない神であれば、たとえ存在していたとしても、人類にとっては存在しないのと同じ
その通り。エホバという神は存在しない。たとえ神がいたとしても、名前は「エホバ」なんて激ダサな名前ではない。激ダサなエホバの証人の上に君臨する架空の存在「エホバ」。
統治体やものみの塔という『偽りの塔』がの存続がいつまでも許されているのが、エホバが存在しない偽神である証拠。
加えて、私のように「エホバ、ファック!」と言っている背教者が、病気や交通事故に遭わず、ニヤニヤ楽しく生きていられるのがその証拠。
ものみの塔崩壊を目論む私が毎日を楽しく生きていて、逆に、王国会館に通い続けているエホバの証人が心身を病んでいる。これがエホバが偽神である証拠。
結論:ものみの塔は偽りの塔、エホバは偽神、架空の神
エホバの証人の待ち望む「終わり」、「今すぐ」には来なくなった。
“偽神「エホバ」と偽りの組織「ものみの塔聖書冊子協会」” への3件の返信