恥知らずなものみの塔
昨日の記事の続き。エホバの証人の論理的アキレス腱、ものみの塔だけがエルサレム陥落をBC607年にしたい件。
エホバの証人が根拠にするものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第1部』の後半部分。考古学的な根拠とされているプトレマイオスの王名表に、ものみの塔が難癖をつけている。
今日もマニアックすぎて全然分からないので、jwstudy様のこの記事を参考にしている。
本日もものみの塔の恣意的引用。これはエホバの証人のお家芸なので、そこら中でやっている。真逆の意になるよう、何かから部分的に引用してきて、自説を裏付ける。
基本、ものみの塔は間違ったことしか言っていない。そのおバカな話を裏付けるのは大変なのだが、ものみの塔のお家芸、恣意的引用を使えば簡単。反対の主張であっても、ひっくり返して自説の補強に使えるから。
ダーウィンの「種の起源」の結論部分から引っ張ってきて、おバカな創造論を裏付けようとする暴挙まで。暴挙というか、ダーウィンに対する冒涜。甚だしい恥知らず。
今回のものみの塔のお家芸、恣意的引用はこれ。
プトレマイオスの極めて熱心な擁護者の一人であるレオ・デパウトは,「昔からこの王名表は,天文学の分野では信頼できるものとして知られてきたが,だからといって必然的に歴史の分野でも信頼できるものになるわけではない」と書いています
「楔形文字研究ジャーナル」(英語),第47巻,1995年,106-107ページ
という論調でプトレマイオスの王名表に難癖をつけている。というか、このレオ様はプトレマイオスの熱心な擁護者なんだろ。信頼できないって貶めるわけなくね?
というわけで、jwstudy様が原典にあたっている。
ものみの塔が引用している同節の中でレオ様は次のように書いている。以下jwsudyより引用。
「わたしの知る限り、この王名表のどの面に関しても価値ある根拠に基づいて論駁できた者はいない」
ものみの塔のお家芸、恣意的引用がひどすぎる。レオ様に失礼だろ。
というわけで、レオ様と真相を突き止めるためにメールのやり取りをしたサイトがあったらしく、jwstudyにリンクが載っている。のだが、リンクが死んでいるため、再度jwstudy様から引用。
問い合わせのメールの趣旨
レオ・デパウト様、
2011年10月1日のものみの塔誌にエルサレムの崩壊が西暦前587年だとする資料が信頼できないという記事が出ていて、あなたの本が引用されています。
そこでお聞きしたいのが、プトレマイオス王名表が587年を支持する資料としては信頼できる源ではないということを示す情報をあなたの本は提示しているのでしょうか?
レオ・デパウト氏からの返事:
直接質問に答える代りに、最近同じような質問に対して返事をしたので、それを転送します。西暦前607年をエルサレムの崩壊の年とすることは論外です。証拠は明確なのです。
—— 転送メッセージ —–
王名表はバビロニア天体観測日誌などの資料や他の多くの証拠によって十分に確証されています。西暦前607年はエルサレム崩壊の年としては論外です。
ものみの塔よ。BC607年エルサレム陥落は論外なんだよ。ものみの塔が自ら引用している考古学者がそう言ってるんだから間違いない。まさか、自分で引用してる相手にまで難癖つけ始めませんよね?
“ものみの塔よ、BC607年エルサレム陥落は論外。” への1件の返信