ものみの塔の歴史に対する冒涜。バビロンとアッシリアの見分けもつかないの?

マルドゥック・・・

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年を崩す。

ものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第1部』。世間一般のエルサレム陥落BC587年の考古学的な根拠となるプトレマイオスの王名表に難癖をつけている。

「プトレマイオスの王名表と古代の粘土板とを比較対照して分かる事柄」という図表が掲載されている。プトレマイオスの王名表は王様が3人欠番になっているという難癖。

昨日の記事の続きで3人目、ラバシ・マルドゥク。

ちらみに、全く関係ない話なんだけど、この王様のマルドゥクというのは、エヴァンゲリオンに出てくるマルドゥック機関と同じ。バビロニアの神さまのことを指す。

Wikipediaによると

ラバシ・マルドゥクの治世は非常に短く、1~3か月しか続かなかったと思われる

この王様は、ものみの塔に担がれただけ。年代計算に何の影響も及ぼさない。プトレマイオスの王名表で欠番になっていても何の問題もない。

ものみの塔よ、BC607年エルサレム陥落は論外。

ものみの塔の歴史に対する冒涜

以下、塔の暴論。

楔形文字の文書から得られる強力な証拠によると,バビロニアではナボポラッサル(新バビロニアの最初の王)の治世に先立って,別の王(アシュル・エテル・イラニ)が4年間支配していました。さらに,1年余の間その地には王がいませんでした。ところが,プトレマイオスの王名表では,そのすべてが省略されています

その5年余りの期間は、カンダラヌとナボポラッサルというバビロニアの王様で年代が埋められるているから省略されているにすぎない。年代計算はそれで合っている。

ものみの塔がまた担ぎだしてきたアシュル・エテル・イラニ。この人もWikipediaによるとアッシリア王。

ものみの塔はバビロンとアッシリアの区別もつかないの?バビロンの王様の王名表にアッシリアの王の名は出てこないだろ。

アシュル・エテル・イラニのアッシリア王として在位期間、これもWikipediaによるとBC631-627年。バビロニアの王カンダラヌBC648-627年、ナボポラッサルBC626年-で完全にプトレマイオスの王名表でカバーされている。

アッシリア王の話は関係ない。ものみの塔に担がれてアッシリア王も迷惑している。自国が滅んで新バビロニアに取って代わられていくところで、自分の名前を持ち出されて、まるでバビロンの王様かのように書かれて激しい侮辱。

ものみの塔は自身の正当性をこじつけるためにこういう暴挙に出てくる。歴史とその登場人物に対する冒涜。さすがの偽予言者の所業。

さらに、塔の暴論その2。

プトレマイオスが支配者の幾人かを省いたのはなぜでしょうか。恐らく,その幾人かをバビロンの正当な支配者と考えなかったからでしょう。例えば,新バビロニアの王ラバシ・マルドゥクを除外しています。しかし,楔形文字文書によれば,プトレマイオスが省いた王たちは,バビロニアを実際に支配していました

数カ月とか1年とかね。しかも、アッシリア王も混ざっている。アッシリア王については、同期間にプトレマイオスの王名表にれっきとしたバビロニアの王様が名を連ねている。同時期にアッシリア王とバビロン王でダブルで書くとややこしくなるから省いたんだろうね。バビロニアの王だけ書いておけば、年代計算には何の問題も無い。


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