エホバの証人であるふりをする理由
『みんなの宗教2世問題』4章「精神医療/カルト問題報道の観点から」。
元エホバの証人2世の横道氏と精神科医の対談なのだが、あまりろくなことを言ってこなかった精神科医のほうの発言。
母親が子どもを抱えこんで、宗教の教義に忠実に子育てする。子どもは何となく嫌なんだけど、お母さんを悲しませたくないとか、いろんな思いが絡んでくるので、単純に教義が嫌だから離れる、ということは難しい
ここら辺は当事者で脱会者であれば共感を深くできる気がする。
私も小学生の高学年になると、エホバの証人の世界観を信じつつも(それしか知らないので信じざるを得なかった)、エホバという神をひどく嫌悪していたので、さっさと脱会したかった。
しかし、それができなかったのは、親を悲しませたくないというのと、単純に飯を喰わせて貰えなくなる可能性を鑑みたため。
飯が喰えないは極端だが、親に対してエホバの証人のようなふりをしていないと何らかの不利益を被る可能性があった。だから、強要された信仰を保っているふりをしていた。
そのため、小学校の高学年の段階でエホバの証人脱会を決意しつつも、実際に脱会できたのは中学校2年生になるまでズレこんだ。
親を悲しませたくないからは子ども側の都合
エホバの証人をやめて親を悲しませたくないというのは、今考えると間違っていて、表層的なモノにすぎない。親が一時的に悲しむ顔を見たくない、という子ども側の都合にすぎない。
脱会を決意した以上、エホバの証人であることが間違っていると、子ども側が知ってしまったということになる。
私もエホバの証人の世界観や教理を信じ切っていたが、それに沿って生きることが正解だとは思っていなかった。神の言いなりになる必要などないし、神に禁じられた木の実でも欲しければ好きなだけ取って喰えばいい。
神や組織の言いなりになるダサいエホバの証人だらけの楽園で生きる永遠なんか無意味どころか苦痛でしかない。自分の願いと共に生きる一瞬のほうが高価。これが真実。
それどころか、エホバの証人の世界観そのものがウソ、というのがホントの真理。
正しいことを知っているのなら、正しいことをバカな宗教親に教えてやるのが、本来の家族愛。
親がエホバの証人という間違った道を歩み続けることほど、親子として悲しいことはない。それを早く正してやる必要がある。表面的に親が悲しむ顔を見たくないというのは、子ども側の都合にすぎない。