イタコ婆への復讐?宗教2世の理性とモラル、恨みの狭間で

殺しても殺したりないけど、理性がそれを防ぐ

『みんなの宗教2世問題』1章『当事者たちのさまざまな声』より。いよいよ最後の当事者、『たまたま人を殺さなかった、とある宗教2世の話』

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この当事者は、めちゃくちゃマニアックな名も知られない宗教の2世なのだが、読みごたえは抜群。昨今の宗教2世問題が総括されている。noteブロガーらしいが、羨ましいほどの文章力。

このマニアック新宗教にはイタコ婆が出てくる。このイタコ婆は、インチキ霊感商法でしこたま儲けている悪徳ババア。このババアに対して、ブロガー氏は

教祖や協力者にも、やはり殺意がよぎった。ただ、私は人を殺すことは経済的な後ろ盾や社会的な地位を失うことだと理解していた。だからわたしは我慢した。お金と地位のために、我慢しただけ

これが理性。殺したらいけないのはモラルなのだけど、殺しても殺したりない奴がいるのは事実。このブロガー氏にとっては、それがイタコ婆だったわけで、私にとっては、組織体としてのエホバの証人。

ここにモラルはない。殺しても殺したりないくらいの恨みがあり、殺しても殺したりないくらいの辱めを受けた。このモラルの欠如を裁くなら、お得意の天の法廷で裁いてみろって話。もしもそんなカルトな神が存在するのなら。

モラルのないカルトな場所でありつつも、実体としての世界には属している。そのため、殺人や暴力行為を行うとキッチリと地上の司法で裁かれる。それが嫌だから殺さない。これが理性。

理性と、理性の正反対の恨みの狭間で。

このブロガー氏同様、私も理性を働かせてきた。

もしも、いろいろなモノが食い違ってしまったとする。今の私に、職もなく家族もなく、両親も宗教が理由で死んでいたとしたら?そのため、私の理性が働かない状態だったら?そして

もしもわたしの手元に銃があったなら

それでも、私は引き金は引かないかな。

たとえエホバの証人が、イタコ婆ひとり殺せば良いマニアック宗教だったとしても、引き金は引かない。

死んで償わせるより、地面を這いつくばらせるくらいの苦渋を舐めさせてやりたい。刺し違えて終わり、なんていうレベルの恨みではない。

苦汁を舐めている組織体としてのエホバの証人を横目に見ながら、私はノホホンとビールを飲んで人生をエンジョイする。それくらいの落差を味合わせてやりたい。

とはいえ、理性を抱きつつ理性を失った状態を想像するのに無理がある。もしかすると、簡単に引き金を引いていたかも知れない。それほどに宗教は多くのモノを甚だしく損ねていった。

理性とは程遠い、激しい怨恨を抱きながら、理性を働かせている現状。そのなかで発見したのは、何かに復讐したかったら、これでもかというくらいに楽しく生きている姿を見せるしかないということ。

いやー、エホバの証人やめたおかげで人生楽しくって仕方ないっす。エホバの証人やめたおかげでビールが旨くて仕方ない。エホバの証人やめたおかげで将来が希望だらけになったっす。

カルトに復讐するには・・・幸せはカルトを辞めた先に


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