世界は、誰でも受け入れる
『みんなの宗教2世問題』1章『当事者たちのさまざまな声』。オウム真理教・ひかりの輪元信者の体験談。
この体験者は大学生のとき、統一教会にも関係している。
社会からバッシングされているのに、これだけ強い信仰を持って頑張っているというのが、それは一体どういうことなんだろう、みたいなことを考えて、興味本位でビデオセンターにまで付いていった
世間のバッシングなど一切効かないのが、信仰という名のマインドコントロール。思考を操作・固定されているので、ちょっとやそっとのことでは顧みない。
オウム、アーレフ、ひかりの輪を振り返って
あらゆるカルト集団がそうなのかもしれないですけど、内部では人当たりがいいし、信仰している限りは、あるいは信仰してるふりをしてる限りは、大切にしてくれます
カルトは条件付きでだれでも受け入れる。ところが、実は普通の世界では、無条件で誰もが受け入れられている。犯罪者だとしても。たまに死刑になったり拘置されたりはするが、それでも受け入れられている。信仰しないことで存在を否定されたり、少なくとも日本では国外追放されたり、忌避されたりはしない。
カルトの世界は、
社会になじめなかった自分にとっては、ものすごく居心地が良い空間だなって思っていました。だからこそ続けてきましたけど、逆に言えば、この社会では居場所をなかなか見つけることができなかった、ということが一面ではあった
辛い現実からカルトに逃げている。カルトのユートピアに現実逃避している。
カルトの外の世界は、無条件で受け入れてくれる。そこになじむには、自分自身が変わるか、自分自身が見ている世界、その見方を変えるしかない。
『みんなの宗教2世問題』、おかしな世界観を信じてしまう理由とは?
親は、宗教不要の生き方を示すべき
この体験者は、オウム真理教の道場に自分自身の子どもを連れていっている。オウム真理教を
ゴリ押ししてないつもりではおるんですけど、子どもらにとってはどう映ったかっていうのは、ちょっと怖くて聞かれへん
子どもに、胸を張って面と向かって聞けないことはすべきではない。
その子どもが崇教眞光に勧誘されたときに
「いま未成年やから、自分できっちり責任取って、自分で判断できるようになるまでやめとけ」
オウムの名前は出さずに、オウムの信者の話を例に出して説得しました。そういうのは気いつけなあかんし、友だちから勧められたからといって、そういうのにはついていったらあかんし、ついてったとしても自分で判断できる成人になるまで保留にしとけ
と言った。ようやくまともなことを言っているように聞こえるが、実はそうでもない。親ならば「やめろ」と言うべきだし、「宗教なんかに時間をさかない方が良い生き方ができる」と教えるべき。
痛い目を見たはずなのに、なぜカルトを全否定できないのか?もしかすると宗教に救いがあるという思考から抜けられないのか?なぜ信教の自由だとか、きれいごとを言ってしまうのか?
親が良くないモノは良くないと教えないと、子どもが騙されかねない。この体験者や、我々宗教2世の親が騙されたように。
家族も含めて一人一人が幸せになりたいって思って、みんな信仰を始めるものなんでしょうけど、結局、家族よりも信仰を優先させるがばかりに崩壊していってる家庭というのは、間違いなくオウムでも存在しますし、ほかのカルト宗教なんかでも同じ
エホバの証人もまったく同じ。エホバの証人の『あなたの家族生活を幸福なものにする』はウソ。信者になれば、家族よりも教団や教理を優先させる。家族であっても受け入れるのは、信者であればという条件付き。そこに幸福はない。