人倫を大きく踏みはずすカルト、エホバの証人
『みんなの宗教2世問題』5章「宗教2世はいかに描かれてきたか」。
村上春樹『1Q84』、エホバの証人がモロにモデルになっている「証人会」というカルトが出てくる。
村上春樹は登場人物に以下の真理を語らせている。エホバの証人が掲げる輸血拒否から。
「証人会」はまとも宗教とは言えません。もしあなたが小さな子供の頃に大きな怪我をしたり、手術を要する病気にかかったりしていたら、そのまま命を落としていたかもしれません。聖書に字義的に反しているからといって、生命維持に必要な手術まで否定するような宗教は、カルト以外の何ものでもありません。それは一線を越えたドグマの濫用です
エホバの証人の輸血拒否は一線を越えたドグマの濫用。しかもエホバの証人が輸血拒否を教理に掲げる理由は、目立ちたいから。一線を越えるどころか、人倫を大きく踏みはずしている。
というか、輸血は聖書に字義的に反していない。聖書に輸血すんななんて書いてない。
エホバの証人2世の意味不明な人生罰ゲーム
『1Q84』主人公の女性は、エホバの証人2世が受けた屈辱をきれいになぞっていく。エホバの証人の子どもは学校のありとあらゆる行事を忌避しなければならない。それは学校での孤立、イジメにつながっていく。
特定の宗教を信仰することで、一般社会から排他的に扱われるという事態は、部分的には一般社会が「信教の自由」を圧迫しているという問題と言え、必ずしも教団の責任ばかりとは言えないが、しかしながら過激な教えを強要するから起こっている問題だという点では、教団の責任がないとは言えない
いやいや、教団の全責任でしょ。
エホバの証人を信仰することによって、学校行事を何でもかんでも避けてりゃ、そり学校からも同級生からも避けられる。当然のこと。カルト信者が排他的に扱われたとしても、「信教の自由」の圧迫などにはならない。
自分が好き勝手に世界を拒絶しておいて、そんなわがままな自分を容認して欲しいなんて、虫が良すぎる。
エホバの証人は、子どもに対して学校のありとあらゆる行事を避けさせ、大人も選挙活動や団体活動を行わない。そんな排他的な者は世間から排他的な扱いを受ける。当然の帰結。
しかし、エホバの証人2世の子どもは、自ら望んでそんなおバカな行動をとっているわけではない。だから、たまったモノじゃない。親や教団に強制されて、自らイジメの原因になる行動をとって、結果イジメられる。意味不明な人生罰ゲーム。