恥の天秤

思いのままに行動すること

通常ならばそれほど苦労せずに手に入るものがエホバの証人2世であるが故に失ってしまったものや得られなかったものが多く存在する。高学歴であったり高収入であったり甘酸っぱい恋愛の記憶であったり両親との温かな関係やバカ騒ぎ出来る友人など様々である。本来、簡単に手に入るものに大した価値など無いのだが、本人にとっては大問題である。

私も14歳でエホバの証人をようやくやめて以来、手に入れられなったものや出来なかったことなどを全てやり尽くそうとしてきた。ある意味これは不毛なことだった。エホバという偽神とものみの塔という偶像のせいで得られなかった快楽を求めようという発想が良くない。エホバやものみの塔というワードが混じってくる時点でものみの塔協会の洗脳下、支配下にあるということなのである。

大事なのは本当に必要なものや欲することをそのときの自分の気持ちのままに求めることである。このように自分の思いのままに素直に行動すること、これがエホバの証人2世は大の苦手なのである。幼い頃からこらしめという体罰とハルマゲドンでの滅びによる恐怖政治を敷かれてきた結果である。簡単に洗脳は解けないのだ。





恥の記憶を天秤にかけるということ

他にも確実に失ってしまったものが数々ある。エホバの証人2世だった故に手に入れられなかったもので、もはや返ってこないモノである。普通の学校生活や10代の頃の恋愛経験などである。そういったものが無いことを嘆いても悔やんでも仕方がない。どうせもう戻ってこないのである。今からでも手に入れられるものはいくらでも手に入るのである。子供の頃にものみの塔協会のために費やした時間と同じだけの時間を目的の対象に注げばほとんどのものは手に入る

同じように少年期の恥の記憶を天秤にかければ現在のちょっとした苦労や恥など何の問題でもない。エホバ、キリスト、宗教と蔑まれた記憶に比べれば、現状の目的を達成するための手段として何らかの恥をかくことなど大きなことなどない。これを割り切ることが出来れば自分が本当に望む何らかのものを成し遂げられる。

問題になるのは幼い頃から周囲の奇異の視線を浴び続け、元エホバの証人2世は自意識過剰になっていることである。他者の視線に過敏になっていてもうこれ以上は何の恥もかきたくないのである。しかしそれでは前に進めないし何も出来ない。失敗を恐れるために何も勝負出来ないのだ。宗教にまつわる恥ずかしい思いをする訳ではない。自分の本当に望むものためならば恐れずに飛び込んでいくしかない。


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