元エホバの証人2世(JW2世)、恥の記憶を糧に前に進む

思いのままに行動することが出来ないエホバの証人2世

私はほぼ生まれながらにして、エホバの証人(JW)というカルト宗教の2世信者だった。

エホバの証人とはキリスト教系を自称する米国由来の新興宗教で、世界中に信者がいる。日本ではものみの塔聖書冊子協会が中心となり、活動している。

2世信者というのは、親の宗教を強制される子供たちのこと。親がエホバの証人であれば、当然のように子供はエホバの証人というカルトを強制される。

エホバの証人の2世信者であるがゆえに、失ってしまったものや得られなかったものが多く存在する。それらはエホバの証人でない通常の家庭に生まれれば、それほど苦労せずに手に入るもの。

子どもの頃の平凡な記憶、自由な進学先、甘酸っぱい恋愛の記憶、両親との温かな関係、バカ騒ぎできる幼なじみの友人など。

エホバの証人は戒律第一主義で、子どもにとっては禁止事項が多く、世間と隔絶した異常な生活を強制される。親やものみの塔に逆らえば、懲らしめという体罰を受ける。

また、ものみの塔の教理の根幹となる終末ハルマゲドンの予言がある。エホバの証人の子どもたちは、戒律に従わなければ、ハルマゲドンで神に滅ぼされるという恐怖にも苛まれている。

私は14才でエホバの証人をやめた。それ以来、手に入れられなったモノやできなかったこと、すべてをやり尽くそうとして生きてきた。ある意味、これらは不毛なことだった。

「エホバという偽神とものみの塔という偶像のせいで得られなかった快楽を求めよう」という発想が良くない。

エホバやものみの塔というワードが混じってくる時点で、ものみの塔の洗脳下、支配下から脱し切れていない。心の大事な部分を、いまだカルトに汚染されたまま。

大事なのは、本当に必要なものや欲することを、そのときの自分の気持ちのままに求めること。自分の思いのままに素直に行動すること、これがエホバの証人2世は大の苦手。

幼い頃から懲らしめという体罰と、ハルマゲドンでの滅びによる恐怖政治を敷かれてきた結果。簡単に洗脳は解けないし、顔色を伺って自制する生活習慣を意識しないと、変えることは難しい。

エホバの証人が戒律主義である理由3つ

各家庭バラバラのものみの塔基準、親の顔色を伺うエホバの証人2世

恥の記憶と、現在の苦労を天秤にかける、そして進む

私には、既に取り返しのつかない、完全に失ってしまったものが数々ある。エホバの証人2世だったゆえに手に入れられなかったモノで、もはや返ってこないモノ。普通の学校生活や10代の頃のノーマルな恋愛経験など。

そういったモノが無いことを、嘆いても悔やんでも仕方がない。どうせもう戻ってこない。逆に、今からでも手に入れられるモノはいくらでも手に入る。

子どもの頃、ものみの塔のために強制的に費やされた時間と、同じ時間を費やせば、ほとんどのモノは手に入る。同様に、少年期の恥の記憶を天秤にかければ、現在のちょっとした苦労など何の問題でもない。

エホバ、キリスト、宗教と蔑まれた少年期の記憶に比べれば、現在の目的を達成するための苦労など、たいしたことはない。こう割り切ることが出来れば、望むモノはたいてい成し遂げられる。

問題になのは、幼い頃から周囲の奇異の視線を浴び続け、元エホバの証人2世は自意識過剰になっていること。他者の視線に過敏になっていて、もうこれ以上、何の恥もかきたくない。

しかし、それでは前に進めないし何も出来ない。失敗を恐れるために何の勝負も出来ない。

宗教にまつわる、恥ずかしい思いをするわけではない。自分の本当に望むモノのため。恐れずに飛び込んでいくしかない。


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