マインドコントロール両親により、エホバの証人組織への献身から守られる皮肉

エホバの証人の狂信儀式バプテスマ

エホバの証人のバプテスマとは

私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人という宗教の2世信者として育てられた。両親は狂信的なエホバの証人で、父は会衆の長老、母は正規開拓者という年間1,000時間を布教活動に捧げる狂信者だった。エホバの証人でいう所の神権家族。

私は小学校高学年の頃から、どのようにして、いつエホバの証人をやめるかということを考えていた。この頃の私の考えは、両親にある程度見透かされていたのかも知れない。

そんな私にバプテスマを受けさせ、正規のエホバの証人にしてしまうことは、私の教団からの排斥リスクを高めることになる。

エホバの証人のバプテスマとは一般的なキリスト教の洗礼・浸礼の儀式のこと。献身とも呼ばれる。バプテスマを受けて教団に献身すると、正式なエホバの証人と認められ、周囲の信者から○○兄弟、○○姉妹と呼ばれる。

バプテスマは、単なるプールに潜らされる儀式で何の意味もない茶番。とはいえ、マインドコントロール信者にとっては一生に一度の晴れ舞台。バプテスマプールの水にはなんの効力もないのだが、信者の精神に与える影響は少なからず存在する。

脱会者の中でも、バプテスマを受けたか受けていないかを「水没」「非水没」と呼んで、区分している。

信者の精神的な影響もさることながら、「水没」か否かは、信者周辺の物理的環境に及ぼす影響が大きい。

それがエホバの証人の排斥制度。

エホバの証人の排斥とは

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14才、エホバの証人2世の悩み、怖いのは排斥じゃない

エホバの証人2世の抱える恐怖

エホバの証人が恐れる排斥処分とは

エホバの証人の信者で、宗教活動への参加が不定期になり、そして全くゼロにという人のことを、”組織を離れた”と、現役信者たちは言う。やめたわけではないし、いつでも門戸は開かれている、むしろ、いつでも戻ってきて欲しいというニュアンスを含んでいる。

しかし、組織から破門状態になる排斥処分は全く別。故意に戒律を破ったり、背教めいたことを口にしたりすると、組織から追い出される排斥処分になる。

組織側の現役エホバの証人は、排斥者と街で偶然会っても会話をしてはいけない。一緒に食事をするなどもってのほか。挨拶ですら禁止。排斥者に不用意に関わると自身まで排斥になりかねない。

教義に反した罪人とされる人に、救いの手を差し伸べない態度はいかにも幼稚。宗教者の風上にもおけない了見の狭さ。この事実は、エホバの証人は宗教人でなく、ただの組織人であることを示している。組織上層部からの命令には何が何でも従う組織崇拝者。

幼い頃から深く洗脳されたエホバの証人2世の子供にとって、排斥処分というのはとても恐ろしく感じられる。

幼い頃からエホバの証人という狭いコミュニティの中で育ち、エホバの証人以外に同じ年頃の友人など存在しない。教団は信者以外の人との交友を避けるよう推奨しているから。

エホバの証人2世は季節毎の行事に参加させて貰えない。そんな変わり者のエホバの証人2世が教団外の友人を作ることは難しい。

組織内の人間関係に依存しきっているのは大人の信者も同じ。教団から追い出され、村八分にされるのは恐怖。

精神的な面だけでなく、経済的にもエホバの証人組織に依存している場合もある。勤め先がエホバの証人経営だったりすると、排斥処分になるのは手痛い。仕事と信条は別、といった融通のきいた考え方ができないのが組織崇拝者のエホバの証人。

排斥というエホバの証人の死刑宣告

死ぬ気になればエホバは怖くない

14才、エホバの証人2世の悩み

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排斥を避けるため、息子をバプテスマから守った私の両親

エホバの証人2世のバプテスマ

エホバの証人2世の子どものバプテスマ

私は家族全員がエホバの証人という家庭で育った。エホバの証人の通称「神権家族」。父は会衆の長老、母は正規開拓者というでエホバの証人的にはサラブレッドとも言える最悪な状況。私は、その最低な家庭で、エホバの証人の2世信者として育った。
※長老とは会衆の責任者、正規開拓者とは年間1000時間(2022年1月現在はコロナ禍で時間制限が撤廃中)を布教活動に費やすヒマ人のこと

エホバの証人の2世信者の中には、小学校高学年ぐらいからバプテスマという洗礼の儀式を受け始める子どもが現れる。ところが、サラブレッドであるはずの私は、中学生になってもなぜかバプテスマの儀式を先延ばしにされていた。

バプテスマは献身の儀式とも言われ、エホバの証人の献身の実情は、神エホバではなく、ものみの塔協会に対して忠誠を誓う儀式。

私はエホバの証人をやめたいと、いつも強く願っていたし、神であろうと組織に対してだろうと、献身したいとは全く思っていなかった。ただ親から求められれば仕方が無いので、偽りの献身をしたはず。

表では組織の戒律に従っているものの、隠れた場所ではものみの塔の戒律を破り、心中ではエホバの証人をやめたいと私は思い続けていた。献身の儀式も私にとっては、ただの儀式でしかなかった。

私のバプテスマが先延ばしにされていたのは、私にそのつもりが全く無かったことが第一要因。しかし、それとともに両親の私に対する愛情でもあったのではないかと、今の私は考えている。

エホバの証人の中ではまともな方だった私の両親

最後の最後で、ものみの塔から私を守った両親

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エホバの証人の親が優先すべきなのは、神でも永遠の命でもなく・・・

JWの親のすべきこととは

子を捨てても、自分の命を優先するエホバの証人

エホバの証人の世界では、教団から破門された人に対して街で会っても挨拶することすら許されない。エホバの証人の破門は排斥と呼ばれ、エホバの証人的村八分状態。重大戒律を破ったり、背教じみたことを口にすると排斥処分になる。

たとえ排斥されたとしても、排斥対象者が未成年だったり自立能力がない場合は、保護者が最低限の生活を保障をしなければならないことにはなっている。

さすがのエホバの証人とはいえ、この程度の常識はある。最低限の義務教育を受けさせること、衣食住など生命を維持するための保護は、子どもが排斥された後であっても、エホバの証人の親が行わなければならない。

しかし、それ以上の深い関わりを持つことは禁じられている。家族間の暖かなコミュニケーションは、排斥者がいるエホバの証人の家庭には存在しない。

しかし、私の両親は一人息子であった私に対して、私が排斥されていたとしても1人の親として独立するまで見届けてくれたような気がする。

私がエホバの証人をやめた後で、両親もエホバの証人をやめた。それを考えても、家族と宗教のどちらを上位に置くべきなのか、最後の最後でその正常な判断ができる人たちだったのかも知れない。

エホバの証人の幻想である永遠の命と、子どもとの絆、それを天秤にかけてみれば良い愛する子どものいない環境での永遠の命、そんなものに意味はない。子を捨ててまでも、自分の永遠の命を求める、というエゴイストな考え方は改めるべきだ

聖人と自分を等しいと、誤解しているエホバの証人

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エホバの証人の中ではまともだった私の両親、排斥とバプテスマの因果

エホバの証人家族の行く末

エホバの証人の中ではまともだった私の両親

私の父親はエホバの証人の会衆内の長老だった。会衆というのは、エホバの証人の信者数が100人弱に収まるよう調整された地域ごとの集団。長老というのは会衆の責任者のような存在。教団の中間管理職的な立場。

父は会衆内の信者個人が抱える問題を解決することが出来なかった。長老というのは、所詮は教団の伝書鳩的存在だったから。

しかし、エホバの証人をやめた後で、父は他人が抱える個人的な問題を解決することが出来た。

父が母と離婚し、別の女性と暮らしていたときのこと。その女性の子供が友人関係に大きな問題を抱えていた。友人の一人が重犯罪に手を染めていた。

これが本来の友人であれば、それはそれで別の問題が発生あるのだが、実際には脅されて付き合わされていた。父は、その悪友との関係を断ち切るべく交渉にあたった。

父は、私にとって勇気と責任感を持った強く格好良い人だった。エホバの証人にさえ関わらなければ、それを体現し続けることが出来た

私が自動車事故を起こしたときに、相手が運悪く暴力団関係者だったことがある。父はその事務所へ一緒に謝りに行ってくれた。小さな傷がついた高級車を買えと言われ、父は誠心誠意謝るとともにしっかりと断ってくれた。

この頃の私は、両親よりも先にエホバの証人をやめており、両親の教団第一という価値観とは圧倒的な相違があった。それにも関わらず、父は1人の親として私の問題を解決してくれた。

私の母親にしても父親と同じだった。私がエホバの証人をやめたあとでも普通の母親として20才で家を出るまでの期間を接してくれた。

私がエホバの証人をやめた後の両親の態度。両親の姿勢が、私が社会的に足を踏み外すのをギリギリで押しとどめた。両親に見放されていれば、10代の私が激しく暴走し、社会からも孤立した可能性が高い。

また、10代で両親に見捨てられたとなると、精神的なダメージも大きい。現在の私のようにノーマルな家庭を築くことすら難しかったかも知れない。

エホバの証人の親が、脱会した子供は死んだと考えることはよくある。「霊的」に、エホバの証人的に死んだということ。マインドコントロール信者にとっては、精神的な死も物理的な死も大差ない。

こうして親に殺される子供がいることを考えると、私は信仰を強要されたとは言え、まだマシな方だったと言える。

エホバの証人というカルト宗教の被害を受ける二世信者の子供たち

元エホバの証人二世の生まれて最初の記憶

エホバの証人組織からの排斥の有無が、親子関係を残す鍵

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元エホバの証人(JW)2世、不吉な薄暗い部屋での最初の記憶

エホバの証人脱会後の未来

元エホバの証人2世の親との確執 

私は生まれながらのエホバの証人(通称JW)2世として、両親から厳格に教団の戒律を押し付けられて成長した。しかし、そのことで両親を全く恨んでいない。両親は、エホバの証人組織に騙されただけだったから。

両親からは、「懲らしめ」と称してエホバの証人風の体罰を繰り返し受けた。エホバの証人のわけの解らない教理を押し付けられ、全く自由のないまま14才まで育てられた。

エホバの証人の戒律には禁止事項が多い。エホバの証人2世は、常に周囲の子供との違いを意識せざるを得ない。一般の子供の自由さと自身の不遇を比較し、辛い子供時代を送る。

それでも、私は両親に対して感謝こそすれ、恨みに思ったことはない。とはいえ、両親のエホバの証人になるという間違った選択をした事実が消えることはない。

エホバの証人をやめると決意し、実際にやめようとしていた14才のときに、私は両親と激しくぶつかった。両親が信じるエホバの証人の教理に対し徹底的に暴言を吐き、論破した。

人生の意義はその短さにあり、その短期間を自身の意思で駆け抜ける必要がある。両親が疑いもしない神エホバすら、私にとっては自身のエゴで世界を滅ぼそうとする悪の化身だった

14才の私に続き、父→母の順でエホバの証人をやめたのだが、組織から脱退の家庭は崩壊した。

エホバの証人の子供とは

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エホバの証人(JW)の父親の悲劇、人生のムダ遣いと罪

エホバの証人がムダにする人生のすべて

私の父は、ものみの塔協会に20代から40代までの人生をすべて捧げてしまった。ものみの塔に献身し何もかもを失った。エホバの証人として活動し全てを失くした。

私の一家は離散し、父の職歴はスキルの必要とされない業種の転職だらけ。財産も残していない。何より一番大きな損失は、若さとそこから来るエネルギー全てをものみの塔に吸い上げられてしまったこと。

貴重な時間と多大な労力をものみの塔のために浪費してしまった。

私の家庭では、ものみの塔のために多大な経済的浪費を行っていた。通算になると恐ろしい金額の寄付をしていた。毎月幾らと決めた金額をエホバの証人の王国会館の寄付箱に入れていた。何たる浪費だろうか。

エホバの証人は金銭に執着しないように、守銭奴にならないようにと教えられ、惜しげもなく自らの財産のほとんどをものみの塔に捧げてしまう。

エホバの証人は、ものみの塔が発行する宗教本を一冊たりとも漏らさず手に入れる。そして、その発行に見合う分の寄付金を暗に要求されている。

ものみの塔はフルタイムの仕事に就くことを勧めていない。この世の終わりが近いので世俗の仕事に集中するなと。世俗の企業は全て滅ぼされる、その終わりの日のことを”ふれ告げ”て、信者を勧誘する活動に自分の時間の全てを費やすことを要求される。

人生の浪費、必要の大きな所のエホバの証人2世(JW2世)

エホバの証人として生きた罪

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エホバの証人(JW)2世、浴びせ続けられる2つの視線

有象無象の視線に怯えるJW2世

エホバの証人2世の子供が浴び続ける架空の視線

私は自分の意思で14才のときにエホバの証人をやめた。やめるまでの14年間をエホバの証人2世として育てられた。エホバの証人というカルトが私に一番大きく影響を及ぼしたのは自意識の問題。自意識が過剰なせいで他人の視線が気になって仕方が無い。

誰もいないところでも、誰かに見られているような気がする。誰かに見られていたとしても問題の無い自分を演じてしまう。しかし、本当は誰も私に注目などしていない。それでも他者の視線が気になってしまう。これは、

幼い頃から、天にいるエホバやイエスに見られていると言われた影響。私は、常に神エホバに監視されていると思い込んでいた。

神エホバだけでなく、悪魔サタンも私を見ている(と思い込んでいる)。サタンや悪霊は、虎視眈々と我々を誘惑する機会を狙っている(と思い込んでいる)。

こうした空想の産物からの視線を、エホバの証人2世の子供たちは感じ続けている。感受性豊かな子供だからこその恐怖の視線。

幼児期からの強烈な洗脳の結果、エホバの証人の子供たちはこうした架空の視線の支配下にある。

エホバの証人の子供は、常に何らかの視線にさらされているというという思い込みに行動を制限される。彼らはいつでもどこにいても厳しいエホバの証人の戒律を守らなければならない。神の監視下にあるから。

エホバの証人2世の唯一の特効薬

エホバの証人2世が法令を軽視する理由

エホバの証人2世の子供が浴び続ける現実の視線

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ハルマゲドンは怖くない~滅びを覚悟すれば恐れる必要はない

明日にでも終わる人生を暴走するJW2世

エホバの証人が抱えるハルマゲドンという幻想

エホバの証人として生きるというのは、決定的に間違った人生の選択。百万歩譲って、ものみの塔がつく最大の嘘であるハルマゲドンが来たとする。エホバの証人でない我々は滅ぼされる。それで良い。

自身の生涯を、自分で決めたとおりに生きれば良い。ハルマゲドン後に得られる設定の永遠の命など、無用の長物。煩わしく長過ぎる永遠の命など、生命の輝きを損なわせるだけ。

あなたは永遠に生きて何をするつもりなのか?ものみの塔の堅苦しい戒律を守り続けなければならない永遠には、何の魅力もない。あらゆる快楽を得られないまま、エホバの証人だらけの世界で生きていくなど、気が狂いそうだ。

神は心の隅にいればいい。魅惑の果実は手に取って、今この瞬間に食べるべき。明日になれば、熟し切って地に落ちて腐っているかも知れないし、鳥がついばんでいるかも知れない。

今、この瞬間を重視して、後悔の無い生き方をすればいい。そうすればハルマゲドンは怖くない。死ねば終わり、無になるだけ。地獄に落とされることは無い。エホバの証人の設定ではそうなっている。

しかも、ハルマゲドンは起こらない。誰もが突然、不条理に神に殺されることはない。楽園で復活することもない。これらはものみの塔のウソだから。人類は、現在の生に集中し、今を全力で生きるべき。

今すぐエホバの証人をやめるべき理由~永遠の命というものみの塔協会の嘘

ハルマゲドンでの滅びを覚悟したエホバの証人2世

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全ての友人を失うことになる元エホバの証人(JW)

エホバの証人をやめてどんな孤独に苛まれようとも

友達を作りにくいエホバの証人2世の子供

私の両親はエホバの証人というカルト宗教の信者だった。我が家は、エホバの証人が言うところの「神権家族」。一人息子だった私は、当然のようにエホバの証人であることを強要された。私は14才の時にエホバの証人をやめ、その後、父、母の順で脱会。

私がエホバの証人をやめてから、父と2人で話す機会はほとんど無くなった。その父からこう聞いたことがある。両親が離婚し、父が家を出て7~8年ぶりに再会した時の話。

「お前を友達の出来にくい育て方をしてしまった」

この話をしたのは私が30才くらいのとき。

私は父に、高校時代の友人との付き合いが今でもあることを話した。この際、父は「お前を友達の出来にくい育て方をしてしまった」と言い、「今の友人たちを大事にするように」と。「そういう友人を(私が)持っていることが嬉しい」と言った。

私の両親は、エホバの証人一家という劣悪な環境で一人息子の私を育ててしまった。父はこのことを深く後悔していた。良かれと思ったことが決定的な間違いだった。

私には両親を責める気持ちは一切無い。しかし私は、息子を持つ同じ立場になって、両親と同じ過ちを繰り返してはならないとは思っている。

学校で行われる季節毎の行事一切を拒否させ、週3回のエホバの証人の王国会館での集会、週末には子供の頃からネクタイを締めて布教活動に歩き回らせる。たしかに、こんな変わり者のエホバの証人2世には友人が簡単にはできない。

そして、両親からはエホバの証人でないクラスメイトとの付き合いは、極力避けるよう管理されていた。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活~エホバの証人(JW)のできないことまとめ

相互監視下にあるエホバの証人に真の友人はできない

全ての友人を失うエホバの証人

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