天と地と、エホバの証人の主張の矛盾
昨日の記事の続き。
マタイ24章29-31
その期間の患難のすぐ後に,太陽は暗くなり,月は光らず,星は天から落ち,天の力は揺り動かされます
その時,人の子のしるしが天に現れます。そして,地上の全ての民族は胸をたたいて悲しみ,人の子が力と大きな栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見ます。
そして人の子は,大きなラッパの音と共に天使たちを遣わし,天使たちは,四方から,天の果てから果てまで,選ばれた者たちを集めます
マタイ24章の記述だと、天変地異が起きてから、世界がキリストの臨在を見て嘆き悲しむ。そして、ラッパが吹かれる。テサロニケ第一4章にもラッパが登場。
テサロニケのラッパは、もろにキリストの臨在と同時に吹かれるモノだった。
テサロニケの信徒への手紙一4章15-16
主の言葉によって言います。主が来られる時まで生き残る私たちが、眠りに就いた人たちより先になることは、決してありません。
すなわち、合図の号令と、大天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、
エホバの証人の1914年臨在設定だと、1914年に、人類には聴こえないラッパが吹かれてキリストが臨在。過去の義人の天への見えない復活が起こっている。これはテサロニケのラッパ。そして現在に至る、今ここ、大患難待ち。
マタイの記述からすると、大患難が起きると、もう一度キリストの臨在っぽいことが起こる。満を持してキリストが再登場。これは全世界が見ることになる。そして、オレみたいな反抗的な奴が泣きを見る。
それで、再度ラッパが吹かれる。これで地上の義人が天に召集される。こいつらが、地上で生き残っている統治体ほか、という設定。
ここは、聖句を読むと矛盾がある。マタイでは「天の果てから果てまで、選ばれた者たちを」集めると書いてある。この時点では、統治体は地上で生き残っているから、天から集められるのはおかしい。
そのため、エホバの証人の文献では、この部分はマルコから引いていることが多い。マルコ13章27節
人の子は天使たちを遣わし,四方から,地の果てから天の果てまで,選ばれた者たちを集めます
ここはかろうじて、「地の果てから天の果て」となっているので、エホバの証人的に、地上から天に召喚される設定の統治体を含む、と読ませている。
とはいえ、この時点で、天から、つまり既に死んでいる者の天への復活はエホバの証人的に起こらない。1914年の第1次ラッパで召喚されている設定なので。
なので、この部分はエホバの証人的には「地の果てから地の果て」でないとおかしい。マルコでは「地-天」、マタイでは「天」のみなので、少なくとも「天」が必須。
だから、1914年に過去の義人が天に復活しているなんてのは、早とちりも良いところ。特大フライング。
エホバの証人のキリスト臨在は、リハーサルあり
“エホバの証人のキリストはなぜか2回降臨、初回は地味だけど” の続きを読む