ものみの塔というゴミだるまの焼却がこのブログの目的
前回に続いてメッセージを頂いた件です。
このブログで、私は自身の経験を元にものみの塔協会を糾弾しています。今回お問い合わせを頂いた主題は、「エホバの証人は無害で、本人たちはその活動を生きがいとしているのだから、放っておけば良いのではないか?」ということでした。
これは、何となく私にも思い当たる節があって、何を今さらこんなおせっかいじみたことをしているんだろう、と思うことがあります。
私は、両親にエホバの証人2世として、窮屈で地獄のような子ども時代を強制されました。しかし、その両親に感謝こそすれ、恨みには思っていません。同様に両親をカルトに引きずり込んだエホバの証人たちのことも恨んでいません。彼らもまた被害者です。
そもそも、ものみの塔や統治体への恨みからこんなにも攻撃しているのかと言えばそれも違います。ものみの塔や統治体も悪意の固まりではないからです。おそらく一部の確信犯を除いて。
ものみの塔は、組織を維持拡大することを目的として、無意識的に転がり続けているゴミの雪だるまのようなものです。ゴミは放っておくと腐り、公害の原因になります。誰かがゴミ掃除をして焼却しなければなりません。
ものみの塔はこの世に存在すべきモノではなく、有害なモノなので、私は世界を正当な姿に戻そうとしている。
当ブログを端的に表すとこうなります。また、
人生を棒に振る被害者が出るという点では、一般のエホバの証人は人畜無害でも、ものみの塔という組織そのものは明らかに危険で有害です。誰かが警笛を鳴らし続けなければなりません。
そのために、私はこのブログを書いています。
エホバの証人被害者だけが語れること
“ものみの塔を放置できない理由、生き残った者の責任” の続きを読む