真理は一つ、間違っていて無証拠・無根拠なら真理じゃない

生成AIとの対話

エホバの証人の主張する年代は歴史学的な観点から見て間違い

昨日の記事の続き。エホバの証人の論理的アキレス腱BC607年シリーズ最終編。生成AIと対話中。

あなたの発言「エホバの証人の主張する年代は間違っていますか?」

Copilot の発言

「歴史学者の間では、エルサレムの陥落が西暦前587年または586年に起こったと考えられており、エホバの証人が主張する西暦前607年の年代は歴史的証拠とは一致しないため、正確ではないとされています。したがって、エホバの証人の主張する年代は歴史学的な観点から見て間違っているとされています。」

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人類の叡智が生み出した生成AIとの対話、BC607崩しシリーズ最終編。

生成AIとの対話

エホバの証人のBC607年

あなたの発言「エホバの証人は西暦前607年にエルサレムが陥落したと主張していますが、考古学的な証拠からそれが否定されませんか?」

Copilot の発言

「エホバの証人はエルサレムが西暦前607年に陥落したと主張していますが、歴史学者の多くは西暦前587年または586年に陥落したと考えています。歴史的な証拠や文書がエホバの証人の主張と異なる年代を示しています。

エホバの証人の主張は、聖書の預言や解釈に基づいていますが、歴史学者はバビロニアの年代記や天文学的な記録など、他の証拠を基にして異なる結論を出しています。

歴史的な証拠と宗教的な解釈の違いが、このような年代の違いを生んでいるのです。どちらの視点も理解することが重要ですね。」

なぜ間違った解釈だと確定しているモノをあえて理解しないといけないのか?カルトを容赦すると痛い目を見る。白黒つけるんだよ。

間違っているかも知れないことの否定?聖書やものみの塔は間違ってるだろ。

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「エギビ家の記録」が暴くものみの塔の正体とは?BC607年のウソ。

エギビ家の記録(イメージ)

ものみの塔が「エギビ家の記録」を隠すのはなぜか?

エホバの証人の論理的アキレス腱、BC607年エルサレム陥落。本日もjwstudyのこの記事を参考にしている。

一般的に確定しているエルサレム陥落の年はBC587年。逆にものみの塔だけが主張するBC607年、その20年の隔たりがものみの塔のウソであることを暴く。

ものみの塔が商業関連の粘土板「エギビ家の記録」を隠すのはなぜか?1988年の「洞察」へ聖書用語辞典が切り替わる際に、ものみの塔は「エギビ家の記録」の記録を削除。以降、ひた隠しするようになった。

ここまでは、昨日の記事にて。

ものみの塔が「エギビ家の記録」を隠す理由。それは「エギビ家の記録」が、ものみの塔にとって都合が悪いから。「エギビ家の記録」がBC607年エルサレム陥落を崩すモノだから。

BC607年エルサレム陥落が崩れると、ものみの塔の存在そのモノが揺らぐ。1914年以来が終わりの時代なんてのが、寝言にすぎないとバレるし、1919年に神に選ばれたなんていうトンチンカン設定のエホバの証人やその教祖集団統治体が偽物だと明らかになる。

ホンモノの歴史、「エギビ家の記録」

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商業関連の粘土板、ものみの塔が隠す「エギビ家の記録」

商業関連の粘土板

商業関連の粘土板

エホバの証人の論理的アキレス腱、BC607年エルサレム陥落。本日もjwstudyのこの記事を参考にしている。

BC607年を主張するエホバの証人と一般的に確定しているエルサレム崩壊BC587年のあいだには20年の相違がある。この20年のウソを暴く。

本日は、商業関連の粘土板。エルサレム陥落がBC587年だと確定している根拠のひとつ。

現代でいうところのレシートや契約書のようなモノ。ここに暦として「〇〇王の第〇年〇月〇日」と記載されている。

この商業関連の粘土板が、新バビロニア時代(BC627-BC539年)のあいだに5万点存在する。平均すると各年600枚。

なおかつ、この粘土板が王名表やその他の粘土板や記念碑など、その他の考古学的証拠と一致する。

ここまでされているから、エルサレム陥落はBC587年で確定している。取って付けたような、ものみの塔の20年が割り込む余地はない。

ものみの塔が隠す「エギビ家の記録」

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3つの絶対年がエルサレム陥落の年を示す、ものみの塔の20年が割り込む隙は皆無。

3つの絶対年

ものみの塔の圧倒的ご都合主義

エホバの証人の論理的アキレス腱、BC607年エルサレム陥落を潰す。

2011年10月号のものみの塔『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか ― 第1部』によると、

キュロス2世がバビロンを征服した西暦前539年は,歴史の要となる年代であり,以下の証拠に基づいて算定されています。

以下の証拠というのが、

  • 古代の史料の記述
    (シチリアのディオドロス、ギリシャのヘロドトス)
  • 楔形文字の粘土板
    BM33066

「BM33066」という

粘土板には,天体の位置に関する誤りが幾つかあるとはいえ,キュロスの息子で後継者となったカンビュセス2世の第7年に起きたという,二度の月食についての記述が含まれています

「とはいえ」の使い方が間違っている。

ものみの塔のホントにおバカで恥知らずなところは、自説を裏付ける証拠の不備は無視。逆に自説に反するモノには些細な不備を指摘して全体が信用できないとするところ。

つまり、BC607年エルサレム陥落を裏付けるならどんなモノでも採用し、そうでないモノは徹底的に粗探し、少しでも矛盾があると全体が信用できないと貶める。

ものみの塔の圧倒的ご都合主義。

ものみの塔がこの粘土板を採用するのは、BC539年をキュロスがバビロニアを滅ぼした絶対年としたいから。そして、そこから聖書の記述に従って70年逆算しBC607年エルサレム陥落とこじつけたいから。

このこじつけも論理的に不成立なんだけど。聖書によるとエルサレム陥落BC608年、終わりの時代は1913年からになりますが・・・

3つの絶対年

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間違っているかも知れないことの否定?聖書やものみの塔は間違ってるだろ。

間違っている可能性は否定できないという苦しい言い分。

BC607年でない証拠が揃っている

エホバの証人の論理的アキレス腱「BC607年エルサレム陥落」を潰す。

本日の記事は、jwstudyのこの記事を参考にさせて頂いている。

2011年10月号のものみの塔『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか ― 第1部』によると、

プトレマイオスの王名表は,一般には正確なものとみなされていますが,幾人かの王が省かれていることからして,実際に年代を割り出すための確かな根拠にすることはできません

という大噓が掲載。

バビロンの王名表にアッシリア王の名がないと難癖をつけるものみの塔

一方、1981年発行のものみの塔本『王国が来ますように』では、

ナボニドスのハラン石柱(NABON H 1,B): 同時代のこのステラ,すなわち碑文の刻まれた石柱は1956年に発見されたもので,ネブカデネザル,エビル・メロダク,ネリグリッサルなど新バビロニアの王たちの統治について記している。この3人に関係した数字はプトレマイオス王名表のそれと一致している

ナボニドスのハラン石柱とプトレマイオスの王名表、一致してるじゃん。証拠が揃っているわけで。他にも、天文学関係の粘土板「VAT4956」、商業用粘土板と。エルサレムが滅ぼされたのはBC587年で確定している。

間違っているかも知れないことの否定?

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BC607をでっち上げるためのものみの塔の恣意的引用

ものみの塔の恣意的引用による貶められる惑星

ものみの塔の恣意的引用

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年。

BC607年エルサレム陥落をこじつけるためのものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。

このものみの塔の記事では「VAT4956」という天文学関係の粘土板を使って、BC607年エルサレム陥落をでっち上げている。

VAT4956には

月食のほかに,月の一連の観測結果が13,惑星の観測結果が15記されています。それらは,月や惑星が特定の恒星や星座とどんな位置関係にあったかを述べています。また,日の出入りと月の出入りとの時間間隔も,八つ記録されています

であるのに、ものみの塔は月の観測結果だけを使って、BC607年をでっち上げ。

ものみの塔の存在根拠は、無名の「とある研究者」によるいいかげんなモノ

その他の根拠、惑星や恒星、星座、日や月の出入りについては、脚注部分で否定している。

これがものみの塔のお家芸、恣意的引用のオンパレードだったわけで。

本日の内容はjwstudyのこの記事を参考にさせて頂いた。

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反撃開始!エホバの証人をゼロにするための理攻め。

反撃開始

エホバの証人の逃げ道をふさげ

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年。

このシリーズを書いているあいだに2024年を終えて2025年になってしまったんだけど、そろそろ終盤。

今日は一旦休憩ということで・・・。

現代の一般人にとってはどうでも良い、エルサレムが陥落してユダヤ人のバビロン捕囚が始まった年。

しかし、エホバの証人にとっては自身の宗教の存在根拠になる年。そのため、こうして取りこぼしのないように理論武装してきた。

それもこれも、エホバの証人というカルト信者の盲信を解くため。「あなたたちは騙されていますよ。そして、他人を欺く罪深い存在ですよ」と知らしめるため。

エホバの証人は雰囲気や勢い、習慣で宗教をやっているので、理論が通じない向きもある。しかし、それならば理詰めでないといけない場に連れ込めばいい。そして、物理的には無理でも、心理的に逃げ道をふさぐ。

まずは聖書がさほど信用ならないことを共通理解として抑え、現代が終わりの時代でないことを徹底的に説く。

この辺で大概のエホバの証人はそそくさと逃げ出すので、心理的に逃げ道をふさいでおくのが、やはり一番の肝。法に反しない範囲で物理的にふさぐのも有効かとも思えるが、これは方法が思い浮かばない。

徹底的に逃げるエホバの証人に対して、別会衆から電話番号を聞き出す。

40年後に反撃開始

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「BM38462」神がかりな年2回の月食が、ものみの塔の欺瞞を暴く

BC587年エルサレム陥落の動かぬ証拠

「BM38462」

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年。

BC607年エルサレム陥落をこじつけるためのものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。

VAT4956という天文学関係の粘土板。この粘土板は「バビロンの王ネブカドネザルの第37年」のモノ。

ものみの塔はVAT4956について、次のように述べている。

月食がバビロニアの第3の月シマヌの15日に起きたとされています。確かに,西暦前568年のその月である7月4日(ユリウス暦)に月食がありました。しかし,その時より20年前の西暦前588年7月15日にも月食がありました。

もし西暦前588年がネブカドネザル2世の第37年であったとしたら,その治世の第18年は西暦前607年になります。まさに,聖書の年代記述がエルサレムの滅ぼされた年としている年です

ものみの塔はこうやって自説をでっち上げている。

ネブカドネザルの第37年がBC588年にならない理由。それは別の粘土板から明らか。

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「~なはず」から始まるウソに人生を賭けるエホバの証人

「もし」「~なはず」といういい加減な根拠に人生を賭けるエホバの証人

「もし」から始まる結論はどこまで行っても仮説

エホバの証人の論理的アキレス腱、BC607年エルサレム陥落をこじつけるものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。

VAT 4956によれば,この月食はバビロニアの第3の月の15日に起きた。これは,シマヌの月が15日前に始まっていたことを示唆している

もしその月食がユリウス暦の西暦前588年7月15日に当たるとしたら,シマヌ1日は西暦前588年の6月30日/7月1日となる

「もし」じゃないって、他のありとあらゆる根拠から、VAT4956のこの年はBC568年。

「もし」から始まるモノはすべて仮説。エホバの証人はこの「もし」から始まるインチキ仮説に人生を賭けている。

したがって,バビロニアの第1の月(ニサヌ)の始まりは2か月前の5月2日/3日となり,その日から新年が始まったことになる

「したがって」じゃないって、前提がおかしいからここで矛盾が生じている。紀元前626年からの700年間で新年が5月に始まったことは一度もない。すべて3月か4月(jwstudyのこの記事より)。これはものみの塔が『洞察』にも引用している『紀元前626年–紀元75年のバビロニア年代学』から。

BC607年エルサレム陥落を潰す。ニサン9日の月の位置って何?

「~なはず」で始まるウソに人生を賭けるエホバの証人

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