「BM38462」神がかりな年2回の月食が、ものみの塔の欺瞞を暴く

「BM38462」

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年。

BC607年エルサレム陥落をこじつけるためのものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。

VAT4956という天文学関係の粘土板。この粘土板は「バビロンの王ネブカドネザルの第37年」のモノ。

ものみの塔はVAT4956について、次のように述べている。

月食がバビロニアの第3の月シマヌの15日に起きたとされています。確かに,西暦前568年のその月である7月4日(ユリウス暦)に月食がありました。しかし,その時より20年前の西暦前588年7月15日にも月食がありました。

もし西暦前588年がネブカドネザル2世の第37年であったとしたら,その治世の第18年は西暦前607年になります。まさに,聖書の年代記述がエルサレムの滅ぼされた年としている年です

ものみの塔はこうやって自説をでっち上げている。

ネブカドネザルの第37年がBC588年にならない理由。それは別の粘土板から明らか。

これ以降、jwstudyのこの記事からヘルプ。

「BM38462」という粘土板がある。

BM38462はネブカドネザルの1年から29年までのほぼすべての年の月食の報告が記述されている粘土板

「BM38462」には、ネブカドネザルの第17年の月食が出ている。これは前述のものみの塔が引っ張りだしてきたBC588年7月15日に該当する。これを、無理やりものみの塔仕様で20年ズラすと、「BM38462」の他の月食があてはまらなくなる。

さらに、追い打ちでjwstudyのコチラの記事

「VAT4956」(ネブカドネザルの第37年)、月食は第3の月の15日。これをものみの塔仕様でBC588年7月15日にこじつけると、太陰暦の新年(ニサンの月)が5月に始まることになる。

このアクロバティック技がいかに失敗であるかは「~なはず」から始まるウソに人生を賭けるエホバの証人で述べた。BC568年7月4日の月食なら第3の月でピッタリ。

そして、

「BM38462」のネブカドネザルの第17年の月食の月は第4の月。こちらであれば、BC588年7月15日の月食がピッタリあてはまる。

さらに、もう一つ、神の恵みとしか言えないようなことがある。

「BM38462」のネブカドネザルの第17年には第4の月の月食に加え、第10の月に月食の記述がある。これがBC587年1月、まさにエルサレムが陥落した年の月食と一致する。

この年2回の月食も当然、ものみの塔仕様で20年ズラすと整合性が取れなくなる。

ネブカドネザルの第17年BC588-587年の年間2回の月食が動かぬ証拠。エルサレムが陥落したネブカドネザルの第18年はBC587-586年であり、ものみの塔仕様のBC607年ではない。

BC587年エルサレム陥落の動かぬ証拠


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