体罰と愛情と恐怖で洗脳される、エホバの証人2世の不幸

体罰と愛情と恐怖によるエホバの証人の洗脳

昨日の記事の続き。

田舎へ引っ込んだ両親は、ますます熱心にエホバの証人活動を行なうようになった。父は、会衆というエホバの証人コミュニティで長老というリーダー的立場に就く。母は、年間1,000時間※をものみの塔の布教活動に従事する正規開拓者になった。
※現在は年間800時間、2022年段階ではコロナ禍で要求時間撤廃中らしく

私も両親に引きずられて、エホバの証人2世としてものみの塔の活動を中心とした、小学校高学年を送ることになった。もちろん強制的に。

内心、非常に嫌だったが、小学生だった私が親に抵抗するすべは無かった。兄弟もおらず一人っ子だったので、自分が動かない限り改善は望めない。

しかし、「今日だけはエホバの証人の集会に行きたくない」、そう言い出すことすらできなかった。懲らしめという名の体罰が待っているから。

体罰の恐怖が、脱会意志を表明できない理由の一つではあったが、

子どもだった私は、ものみの塔のマインドコントロール下の両親からですら愛情を得なければ、物質的にも精神的にも生きていけないという要因もあった。

また、物心ついた頃からものみの塔に洗脳された影響も大きい。天にはエホバという絶対的で愛に溢れた許しの神がいる。しかし、彼のその許しの精神も間もなく限界に達し、自身の創造物すべてを焼き尽くそうとしている。

その大患難を生き残るためには、しこしことエホバの証人の王国会館で開かれる集会に通い続け、終わりの日が近いと布教して回らなければならない。私はそう信じ込まされていた。

田舎のエホバの証人の子どもの不幸

この頃、私が住んでいた田舎町では小学校の1年生から6年生まで、ほぼ全員が顔見知り。人口が圧倒的に少ない。各学年ひとクラスしかない強烈な田舎。

こんな環境に置かれたエホバの証人の子どもは、超有名人の変わり者扱いをされる。クリスマスや節分、運動会の騎馬戦といった学校の行事には参加しない。国家や校歌を歌えない。地元の祭りにも参加しない。

都会だとお祭りはただのフェスティバルで、子どもが積極的に参加して何かするというのは無かった。露店が並んでそこに遊びに行くぐらい。しかし、この頃私が暮らしていた田舎町では、地元の子どもは漏れなく祭りに参加し、古典芸能を舞ったり、神輿を担いだりしなければならなかった。

この秋祭りのための練習が春頃から始まる。その指導は地元の大人が行う。田舎のコミュニティ。それに参加しないということは、私の家族そのものが地域で浮くことを意味している。

無論、深いマインドコントロール状態の両親はそんなことを気にもしない。むしろ快感を覚えているくらい。しかし、

多感な小学校高学年だった私には、クラスメイトやその親の視線が痛くてたまらなかった。

学校の先生も同じ。事あるごとに国家や校歌を歌え、行事に参加しろと言ってくる。

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