安易な逃げであるカルト
昨日の記事で現在の一瞬に全力を費やすことは、未来につながっていると書いた。無意味なものに対してでも全力投球することに価値があるとも書いた。
しかし、これはエホバの証人をはじめとするカルト宗教に全力投球することは該当しない。カルトに献身してしまうのは、ただの現実逃避だから。現在の瞬間に全力を注ぐこととは真逆。徹底的に考えるのをやめ、安易な方向に逃げているだけ。
カルト活動に全力を尽くすのなら、徹底的に考える。妄信するのではなく、誰につつかれてもスキの無い鉄壁の教義なのか考える。そこまで考えたら、エホバの証人がカルトだとすぐに分かる。聖書のどこにも統治体を結成せよなんて書いてないのだから。
頭を使うと疲れるので、徹底的に考えることをやめ、安直に「エホバの証人は真理ー」と信じ込む。それは全力投球の正反対。
全くの無意味、エホバの証人活動
無意味なカルトでも、その活動にベストを尽くしたという経験。その経験値だけでも意味があるのではと思うかも知れない。しかし、それも無意味。
例えば、「海外にカルトの宣教に出かけて死にかけました」という極限体験。確かに全力を注いだかも知れないけれど、その全力体験に意味はない。
海外での生活体験という目に見える部分には多少意味があるのかも知れないが、カルトに関してはいかに全力を尽くそうと無意味。
その理由は全力投球の別分野への応用が効かないから。カルトへの全力投球が自分の意思ではないので、他のことに対してはその全力経験を活かせない。
マインドコントロールされ、ものみの塔の操り人形となった状態での全力経験は別分野での応用できない。誰でも思考を停止し他人に行動を操られれば、その人間のフルスペックが引き出される。
自分で取捨選択し、自分で引き出した全力ではないので、その能力や体験が本人に宿ることはない。つまり、カルトに費やした時間は全て無駄。
元はと言えば、誰でも人生や家族を良くしたいと思って、エホバの証人というカルトに足を踏み入れる。結果、輸血拒否で死んだり、家族が崩壊したり。
そんなものは自分の望みでも意思でもない。マインドコントロールされ操られているだけ。その状態で、どれだけ自身の限界を突破する経験をしたとしてもマインドコントロールが解ければ元通り。
自分の意思で自分の行動を引き出したわけではないので、カルト活動以外に全力を費やそうにも、やり方が分からない。実になっていない。
良いところや擁護するべきところなど一切ない。完全悪なのがカルト。エホバの証人。
“エホバの証人(JW)活動に捧げた全ては無駄になる” への1件の返信