現在の一瞬に全力を費やすことは、未来につながっている

カルトによる洗脳が人生の好転を押しとどめる

昨日の記事で、カルト宗教二世には脱会しても苦難の道のりが続くと書いた。

私もそうで、生まれながらのカルト宗教「エホバの証人」二世という立場を脱しても、人生は簡単には好転しなかった。

エホバの証人脱会後、楽しくは過ごしていたのだが、それは非常に刹那的な楽しみ方だった。脱会後も、洗脳が解けるまではハルマゲトンが来るのは間近だと信じ込んでいた。神に対する反逆者の私はハルマゲトンで憤死。寿命を全うできないと思っていた。

どうせ明日にでも不条理に死ぬのだからと、私は命や未来を軽視した行動を取っていた。逆に、死ぬことや全知全能の神に逆らうことに恐怖は無かった。時が来れば潔く死ぬつもりだったから。

私にとってカルト脱会後の恐怖心や失望感は無かったが、カルトによって洗脳された思想や行動が人生の発展を押しとどめた。

そして、洗脳が解けた後、激しい失望感に襲われる。全部が全部ウソのカルト「エホバの証人」教義に騙されて両親は人生の大半を失い、私も半生を無駄にした。

そして、明日にでも悔いなく死ぬつもりだったのが、意外と人生は長く、将来をしっかりと考えなければならないと気付いた。20代も中盤になろうという時にようやく。

普通の人たちがしているように、人生とは小さな努力の積み重ねだということ、そして、自分が全く積み重ねてこなかったことに気付く。

「宗教2世」問題というのは、重大かつ深刻な「カルト宗教2世」問題のこと

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今の一瞬に対する全力投球は未来につながっている

私は絶望したわけでなく、とりあえず即座に不条理に死ぬことがないという安堵も大きかった。そして、

全力で楽しみ、一瞬一瞬を全力で生きるということは必ず未来につながっている。

私の場合は快楽に対して全力を傾けていたので、人生を好転させる方向とは大きく違っていた。とはいえ、努力して楽しむとかその瞬間にベストを尽くすということは、その対象が下らないことやほとんど無意味なものでも、価値はある。

力を注いでいた先を変えればいいだけなので。努力や全力投球する先を応用してやれば良いだけ。

私の場合は、ギャンブルや性愛、酒に注いでいた全力投球を仕事や勉強、家族への思いやりなどに振り分けた。その転換に10年以上かかるのだが、もともとが腐ったカルトの人生観を叩き込まれていたので仕方がない。

無意味なものに対する全力投球、この無意味なものの中にカルト宗教は入っていない。その点は明日の記事にて。


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