宗教構造の3分類
最近読んでいるエホバの証人 – STOPOVER(途中下車)より。
『欠陥翻訳ー新世界訳』の5章「聖書の翻訳と教義」の終盤部分。<地上における権威の三つの型>が紹介されている。聖書解釈の権限を誰が持っているかというキリスト教の宗派の分析から、宗教全般の構造の分類へあてはめている。
- 個々の信仰型
- 啓示、預言者型
- 組織、官僚型
1.の個々の信仰型は、インパクトが欠けエネルギー不足になると問題提起されている。私は宗教に必死にすがる必要を一切感じないので、このレベルで充分。家族第一、自分第二、仕事や趣味があって、最後の最後に極薄0.01ミリで宗教。
この資料でも、後の文脈を辿ると結局は1.個々の信仰型がベストという結論に至る。
エホバの証人は、当初は2.の啓示、預言者型から3.の組織、官僚型へ移行。初期のものみの塔協会会長のカリスマ型から現在の統治体型へ移行。教祖型宗教が、最後に落ち着くのもこの組織型とも考察されている。
2.と3.の偽預言者と組織幹部たちに向けて痛烈な一言を引用すると
神やキリストが現れないということは、非常に都合の良いことではないかと思う。いつまでも現れなければ、いつまでも神とキリストの名を借りて組織支配を続けることができる
ものみの塔もこのタイプ。この世の終わりが来て真っ先に始末されるべきは、偽予言を繰り返し、多くの人々を欺いたものみの塔自身。たとえキリストが顕在したとしても、統治体が統治権という特権を手放すとは考えられない、とも指摘されている。
自らの偽予言が成就すると困るのは偽予言者自身であり、また、偽予言者は自らの偽予言が決して成就しないのを知っている。これがカルトの信者搾取システム。
ものみの塔協会の統治体の予言は時代ごとに現れる偽預言者の世迷言
真理のモードとは
この章の結びで真理のモードが説明されている。真理のモードとは、どのような姿勢で真理を追い求めるべきかということ。ここでは5点挙げられているが、そのモードで真理を追い求めたところで、ゴールはない。本書でも、真理が持つその矛盾を下記のように記載。
真理モードで動けば、真理に到達できるのかと言えば
たぶんすべての面でそうなることはまずないだろう。というのは、真理そのものの構造がそのようになっていると考えられるからである。ただ、ある真理が成り立つ限界や、適応できる領域はより明確になってくる
つまり、
真理は追いかけ続けるものでゲットできるものではないということ。逆に言うと、自らが真理の組織ですと言っちゃっている奴らは偽善。これがものみの塔。
本資料で挙げられている5つの真理モードでそれぞれ、真理モードの逆を行く姿勢が記載されている。ものみの塔には、この真理逆行モードがすべてあてはまる。よって、ものみの塔が真理モードでなく偽善モードで運用されていることは理解に容易い。
真理の5モード
- 天の権威、聖霊の判断を最優先させる
少し違う意見を言えば、すぐに背教だ、異端だと騒ぐような組織は論外
- 健全な動機
「取り決めではどうなっていますか、誰がそういう指示を出しましたか、あなたは割り当てられたことをすればそれで良いのです。」こういうたぐいの言葉が頻繁に発せられるような組織は、もう終っている
拡大が至上命令のようになった組織も動機の点では、すでに腐敗 - 偽善の排除
宣伝の良すぎる組織は避けた方がよい。ほとんどがまゆつばもの
- 解放的な教義体系
「ものみの塔誌の内容は執筆委員会の5人の多数決で」と、ものみの塔協会初代会長ラッセルが遺言している。遺言とか多数決とか何とも属人的。密室で教義が作られ、あとの人は守るだけというのでは、きわめて排他的かつ閉鎖的な教義体系
- あらゆる真理を受け入れる
自説を証明することにのみやっきになるような組織はダメであって、真理の多元的な構造、階層構造を総合的に理解しようとするモードが必要