聖書の神の性質の矛盾、異なる時代に異なる著者が別々に空想したものだから当然

聖書の神の愛情不足

昨日の記事の続き。聖書に矛盾がある件。ChatGPT先生によると、聖書には以下の矛盾があると。

  • 創世記の創造物語の順序
  • イエス・キリストの系図
  • 神の性質
  • 神の怒りと愛
  • 選ばれた民の役割

3つ目。神の性質。4つ目の神の怒りと愛。エホバの証人いわく「神は愛ガ―」なんだけど、意外とそうでもない。

すぐキレるし、大量虐殺するし、アダムの原罪なんか大したことじゃないのに許さない愛情不足。

そもそも、愛情ある神なら、喰ったらダメな木の実は、絶対見つからないところに隠しておく。愛情もなけりゃ知恵もないってことよ。この神は。

暴力神エホバ、非暴力のエホバの証人、矛盾だらけのものみの塔

聖書の神の性質が矛盾する理由

ChatGPT先生に聞いてみる。「聖書で神の性質が矛盾しているところを具体的に教えて下さい」

神の性質に関する聖書の矛盾の一例として、神の怒りと神の愛に関する記述が挙げられます。以下に、これらの要素に関するいくつかの聖書の箇所を示します。

神の怒り:
旧約聖書において、神の怒りや審判が描かれる箇所がいくつか存在します。たとえば、出エジプト記ではエジプトの王や国民に対する神の怒りとして十の災いが語られています。また、預言書などにおいても神の怒りに関する記述が見られます。

神の愛:
新約聖書では、神の愛と慈悲が強調されます。たとえば、ヨハネによる福音書3:16では、「神は、そのひとり子を賜わるべく、世をこう愛された」と述べられ、神の愛が全人類に向けられていることが示されています。また、イエス・キリストの教えにおいても、相手を愛し憎むことなく人々に対して慈悲深く接することが説かれています。

このような箇所から、神の怒りと神の愛に対する聖書の記述が矛盾しているように見えることがあります。ただし、これは異なる文脈や文学ジャンルに属する書物が複数の著者によって書かれ、異なる時代や歴史的状況において成立していることからくるものであり、異なる解釈や重要視の仕方が異なる宗派や信者によってされています。

ですよね。そもそもが旧約と新約で同じ神だと考えるのがおかしい。別モノなんだよ。別の書物なんだから。しかしながら、エホバの証人は

聖書は,紀元前1513年から西暦98年までの約1600年の間に,40人ほどの人たちが書きました。いろいろな職業や生い立ちの人が書きましたが,矛盾している所は全くありません
『いつまでも幸せに暮らせます』レッスン05

と。

異なる時代、異なる著者が書いたんだから、当然神の性質も別の設定で描かれている。それぞれ別の神を空想しているんだよ。エホバの証人はそこを無理やりにも矛盾しない同一神で通そうとしている。それは通りませんな。


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