あり得ない、エホバの証人の神の介入設定
2020年11月「ものみの塔」の『勇気を出しましょう-エホバが助けてくださいます』という記事。
私たちは,「王や高い地位にいる人たちについて」祈ることができます。そうした人たちは,私たちの伝道や集会などに影響を及ぼす決定をすることがあるからです。
意味不明。
昔も今も,エホバはご自分に仕える人たちを守るために,高い地位にいる人や当局者を用いることがある
という設定にしているらしいんだけど、あり得ないから。
神の意志が施政者に介入できるんなら、最初から都合の悪い施政がされないように、神がすればいいだけ。エホバの証人が禁令されたりするのは、当初からその意思が不介入であるから。というか、その神エホバが存在しないから。
私は子どもの頃、エホバの証人2世であることを強要されていた。そのとき、毎回のようにしつこいくらい、エホバの証人禁令下の国のことを祈っている奴がいた。「エホバの証人の活動が許されますように、兄弟姉妹たちが危険にさらされませんように」という感じ。
禁令されてから神の意志が介入できるのなら、はじめからやっとけよ、禁令にさせんなよ、という感じ。
そもそも、何度も何人もに祈られてから、ようやく「よっしゃ、そろそろ助けてやるかいな」ってなる神、どんだけ空気読めないの?というか、気付き力、低すぎじゃね?その神。
しかも、介入の仕方が政府高官を使うって、どんだけまどろっこしいの?全知全能さんよ。
無意味な祈りが、エホバの証人の神の不在を証明する
また,1世紀のクリスチャンがしたように,私たちも投獄されている兄弟姉妹のために熱烈に祈ります。
そして,兄弟姉妹を担当している看守についても祈れます。そうした人たちが,投獄されている仲間たちを,ユリウスのように「人間味のある親切」をもって扱ってくれますように,とエホバに祈ることができます。
これもやはりあり得ない。看守について祈るって何?これも同じく、看守の精神に神が介入できるんだったら、最初から投獄されないようにすればいい。
投獄されてから、しかも人類が祈ってから、「ちょっと手心加えるようにしてやるか」ってなる神、鈍感すぎ。もはや愚鈍。
捕まっている時点で、お前らの神が、自分の無能無力を晒しているんだよ。というか、エホバの証人の神「エホバ」が存在しないことを示している。
これで、釈放されたらされたで、「エホバガー」って言い出すんだろうけど、そんだけバカの一つ覚えみたいにずっと祈ってりゃ、そのうち偶然解放される日もくる。拘留期限とかあるから。
エホバの証人は、自分の祈りと現実に因果関係を感じちゃう残念な精神状態にある。しかし、祈っても叶わなかったことも数えないと。
自分のことなら、祈っているうちに叶っちゃうこともある。それは祈っている間に自分でも行動したから。自己暗示をかけちゃって、突っ走った結果。
自分の力でどうにもならないことを祈って、それが叶うかどうか。祈り続けていれば、果たしてそれが叶うかどうか。今なら、「エホバの証人に宗教法人解散命令が請求されませんように・・・」とか祈っときなよ。
祈って通じることが、当初から実現されていないのは、全知全能神にしてはお粗末。エホバの証人が禁令されてる時点で、エホバの証人の神「エホバ」は存在しない。よく分からん祈りをしないといけないことが、エホバの証人の神「エホバ」の不在証明。
道が空いてたから集会に間に合った 程度の
レベルで『祈りが届いた』と言う
じゃあ混んでたらサタンかよ(笑)
本当に無意味な祈りだと思います