エホバの証人、希望と憶測の大集合
昨日の記事の続き。エホバの証人の公式サイト『聖書は科学と矛盾していますか』にツッコんでいく回。
聖書に天動説が書いてあるという指摘に対して、エホバの証人の反論は以下。
伝道の書 1章5節には,「日は昇り,やがて沈む。そして元の所に急いで戻り,また昇る」とあります。しかし,これは地球から見た太陽の動きを描写しているにすぎません。地球が太陽の周りを回っていることがよく知られている今でも,「日が昇る」とか「日が沈む」という表現が一般に使われています
これは、いつも通り、エホバの証人の希望。「聖書が科学的に正しい」という思い込みからスタートしているので、こんな希望的憶測しか出てこない。「地球から見た太陽の動きを描写していて欲しい」という希望が断定されている。
逆に、聖書筆者が太陽が地球の周りを動いていたと考えていても、不思議ではない。
聖書に天動説が書いてあっても別にいい。「当時は、一般に太陽が地球の周りを回っていると考えられていました」のひと言で片付く。何から何まで科学的に正しい必要はない。聖書は聖書筆者の創作物なんだから。
地球の自転は止まらない
地動説を指示したガリレオの宗教裁判の際に、持ち出されたのが聖書のヨシュア記。
イスラエル軍が戦争をしていて、圧勝が見える。しかし、日が暮れそうになる。そこで、神が日が落ちる時間を延ばしたという寓話。敵軍を殺戮し尽くすために、天体の摂理を狂わすという残虐行為。
この残虐行為、そもそもの神としての品格を疑う。
以下、ヨシュア10:12,13の一部。
ヨシュアはイスラエルの前でエホバにこう言った。「太陽よ,止まれ! ギベオンの上で。月よ,アヤロンの谷の上で」。
太陽は止まり,月も動かず,イスラエル国民は敵に報復することができた。そのことはヤシャルの書に記されている。太陽は空の中ほどで静止し,ほぼ丸1日,急いで沈むことはなかった
ヨシュアが、太陽や月に「止まれ」と言って、天体を止めている。この時点では、地球の周りを太陽や月が回っているという思想で聖書が執筆されている。この聖句を根拠に、ガリレオは宗教裁判でとっちめられた。
エホバの証人は、これを逆にとって、この部分の聖書の記述は、「人から見た天体の動きを書いたにすぎない」としている。はい、また希望と憶測の大集合。そして、バカバカしいことに、神が何らかの方法で地球の自転を止めたとも述べている。(ものみの塔82/1/1より)
地球の自転を止めるなんて、これがいちばん非科学的。地球の自転が停まった時点で、慣性の法則で地表のあらゆるモノが吹っ飛ばされそうだが・・・。ここら辺はよく分からないのでChatGPTに聞いてみる。
私「聖書のヨシュア記には太陽と月が停まった記述がありますが」
ChatGPT「ヨシュア記10章に、ヨシュアとイスラエルの戦士たちがアモリ人と戦っている際に太陽と月の動きが一時的に停止したという記述があります。
~中略~
この記述には、太陽と月の動きが一時的に停止したという奇跡的な出来事が描かれています。聖書の記述は宗教的な文脈に基づくものであり、科学的視点から解釈することは難しい場合がありますが、信仰的な観点から解釈されることが多いです。
なお、科学的には地球の自転が突然停止するような現象は物理的に不可能であり、地球の自転が停止することはありません。聖書の記述は信仰の範疇にあるものとして理解されるべきです。」
そりゃそうよね・・・
“太陽も月も、地球の自転も止まらない。聖書の非科学的記述” への3件の返信