元洗脳信者の心中に巣食う病巣
『カルトの花嫁』7章。著者の洗脳は解けたが、内外に問題は山積み。
20年という信仰の日々を否定することで、自分が無になってしまうかもしれないという恐怖、本当に地獄に落ちてしまうかもしれないという不安
元洗脳信者の内にはこんな問題がある。
カルトに搾取された時間が長ければ長いほど、そこにつぎ込んだものが大きければ大きいほど、ベットしたものを取り下げる恐怖に駆られる。もしもこの大穴が当たりだったら。支払った代償の大きさに対して引き返すことが恐怖に感じる。
回収不能なものは損切りするしかないのだが、そう簡単に割り切れないのが人間。
しかしながら、妄信の日々は無駄にしたと諦め、全否定しないと前には進めない。そのままだと無どころか、カルトの手先となり被害を拡大するマイナス人生を送り続ける。一旦無になる方がまだマシ。
洗脳が解けても教義から自由になるには時間がかかる。著者が地獄落ちの不安に襲われたのはよく分かる。
私もエホバの証人が全部ウソだと気付いてからも習慣を変えるのは難しかった。神社とかで手を合わせるのも何だか嫌だったので、しばらくは極端な無神論者、宗教嫌いで通した。
交通事故とかで急死のピンチで「エホバ」に祈りかけたり。これは、その直後に「やっちまった。存在しない偽神に祈っちゃった」と自己嫌悪するのだが。
内なる洗脳被害と闘いながら、外なる問題を解決していく著者。
自分を変えるのもまた自分自身
と書いている。変化しようと行動する者だけが変化することができる。
カルト被害の清算
8章、カルト被害の清算はカルトに騙され加担した自身を振り返ること。著者は自分が母親のような毒親になりかけていたと気付く。
母自身の自己満足を叶えるため、ひいては統一教会からの使命を実現して、母自身が安心を得たいがために
選択や行動を制限する親。
彼女たちの人生は彼女たちのものであって、親や統一教会の所有物ではない
子供には自分の好きな生き方をできるように、その準備期間に様々な選択肢を用意するのが親の役目。一本道を引くことではない。ましてやカルトという奈落の底への一本道を引く親はまさに毒親。
好きな方向に自信を持って進めるように、そっと背中を押したり、いつでも味方でいることを伝えて自信を持たせる。親の意思を押しつけたり、愛情や愛情に見える自己満足の押しつけは子供の枷になるだけ。
そして、著者は
自分はカルトの被害者だと嘆き悲しんでいたけれど、知らず知らずのうちに統一教会の手先となった加害者でもあったという事実に気が付いてしまった
こう悟ったときに著者に変化が生じる。
「恨む」をきっぱりと捨てる決意
をする。果たして「恨み」は捨てる必要があるのだろうか。この点は明日。
“『カルトの花嫁』~洗脳信者の内に潜む病巣、カルトの清算” への2件の返信