カルトな毒親、エホバの証人
エホバの証人の子どもが平日に学校を休まされ、大会という宗教行事に連行される件。昨日までの記事の続き。
子どもにとっては「選択肢のない強制」。
- 親が信者であれば、子どもは「行きたくない」と言えない。そもそも「行きたくない」という感情すら持たせてもらえない環境。
- つまり、これは子どもの信教の自由の侵害であり、教育を受ける権利の侵害でもある。
筆者が目撃したところ、エホバの証人の大会には、ベビーカーの子どもや赤ちゃんまで連行されている。これらの子どもには選択肢はなく、まさに強制連行。
こう言うと、「未就学児だけを家に放置できない」「家に子どもだけ放置するほうが危険」とか、トンチンカンなことを言う人がいるんだが、それは全然違う。
当初から、親がエホバの証人の大会に丸一日出かけなければいいだけ。そんな小さな子どもを抱えているんだから、育児に専念しろっつーの。
親が平日に一日中宗教行事に参加するという勝手な都合で、子どもを連行。 その結果、子どもは学校を休まされ、義務教育の機会を奪われる。エホバの証人の親は身勝手にも程がある。こういうのを毒親という。
子どもを家に置いていけないから連れて行く。しかし連れて行けば学校を休ませることになる。どっちに転んでも、子どもが犠牲になる仕組みになっている。
この不条理を「信仰の自由」で片付けるのは、あまりに都合が良すぎる。子どもの教育と安全を天秤にかけてまで優先されるべき“信仰”って、なに?バランスを失い、行動を変えられてしまう盲信仰。それをカルトという。
「親が行かなきゃいい」──それができない“空気”と“支配”
親が宗教行事に一日かけて出かけるのをやめりゃいいだけ。「子どもを連れて行かざるを得なかった」じゃなくて、「親が行かなきゃよかっただけ」。 ここにこそ、この問題の核心がある。
「子どもを連れて行かざるを得ない」という言いわけが、むしろエホバの証人の構造的な問題の証拠。教団が平日に大会を設定して、親子を丸ごと拘束する構造が問題。
では、なぜ親が平日に一日中大会に行くことが当然になっているのか?
- エホバの証人のような組織では、大会への参加が“信仰の証”とされる。 欠席すれば「霊的に弱っている」「信仰が足りない」と見なされ、仲間内での立場が危うくなる。
- つまり、親にとって大会は「自由参加」ではなく、実質的“義務”。
- そして、親が行くなら、子どもも当然連れて行く。 子どもにとっては二重の強制。
ここで問うべきは、なぜ、親が「子どもを学校に行かせる」よりも「宗教行事を優先する」選択をしてしまうのか? それは、個人の自由な判断ではなく、組織の圧力や教理による支配があるから。
そしてその結果、子どもが義務教育を受ける権利が侵害されている。これはもう、親の信仰の自由の問題ではなく、子どもの人権の問題。
まとめると
「エホバの証人の大会に親が行かなきゃいい」。しかし、それができないように仕組まれてるのが、エホバの証人の構造的な問題。
信仰の自由は認められてもいい。でもそれは、他人の自由や権利を侵害しない範囲での話。 子どもを巻き込んでまで守るべき“信仰”なら、それはもう自由じゃなくて、支配、宗教虐待。
「親の信仰の自由」と「子どもの教育を受ける権利」が衝突したとき、社会はどちらを守るべきか?読者の皆様はどう考える?この点は明日の記事にて。

