「VAT4956」に対するものみの塔のご都合主義。独善的偽予言者の態度

独善的な偽予言者ものみの塔

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年。

エホバの証人だけが主張するBC607年エルサレム陥落をこじつけるものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。一般に確定しているBC587年エルサレム陥落を裏付ける3つの根拠に難癖をつけている。

3つ目。天文学関係の粘土板。

2011年のものみの塔の記事では、「VAT4956」という天文学関係の粘土板からBC607年エルサレム陥落をでっち上げている。その前提として、「VAT4956」を信用する必要がある。

しかし、以前にはものみの塔は「VAT4956」を信用できないとしていた。この一貫性の無さが独善的な偽予言者。自説に反対する場合には難癖をつけ、自説を補強するモノは無批判で受け入れる。

以前も取り上げた目ざめよ!1972/7/8号『バビロンがエルサレムを荒廃させたのはいつか』。1972年のこの記事では、ものみの塔は、天文学関係の粘土板「VAT4956」に難癖をつけまくっている。

エホバの証人の聖なる力に導かれた勘違い、聖書の記述を封印。

1972年には「VAT4956」に難癖をつけていたのに・・・

以下、目ざめよ!1972/7/8号『バビロンがエルサレムを荒廃させたのはいつか』より。

確証的な証拠の源には,信憑性がなければならないということを見のがしてはなりません。「VAT4956」にはそれがありますか。あるとは言い切れません

言い切れないけど、確かさはある。色んな奴がバラバラに書いた聖書の統一感の無さよりはよっぽどマシ。ましてや、ものみの塔の言っていることとは雲泥の差。

聖書の神の性質の矛盾、異なる時代に異なる著者が別々に空想したものだから当然

「VAT4956」の

写字者がその時代に一般的であった語句を略書する方法にならってことばを変えたことは明らかです。しかし,写字者は一貫性がなく,不正確でもあるので,自分の目的のためには,他の情報をそう入することもやすやすとやってのけたにちがいありません

「ちがいありません」って推測じゃん。ものみの塔の言うことは不正確で、自分の目的のためには、他の情報を挿入しているのはバレバレです。くらいハッキリ言い切れないのかよ。

トレミーの規準と「VAT4956」に対立しているのは,ユダとエルサレムが70年間人が住まない状態であったという,エレミヤ,ゼカリヤ,ダニエル,および歴代志略下の記述者の一致した証言です。それらの書物の何千という古代の写本には同じ証言がしるされています。

超優秀なゼカリヤ君の証言は、他の自称予言者たちの証言と一致していないことは既に書いた。

ゼカリヤ君が遠ざけるエホバの証人だけが固執するエルサレム陥落BC607年

あとVAT4956の場合は写字生がインチキまがいのことをした可能性を指摘しているのに、聖書だけはそれがないという前提に立っているのも、おバカ。

神の霊感?神の霊感があったら、「エレミヤ,ゼカリヤ,ダニエル,および歴代志略下の記述者の一致した証言」なんて恥ずかしいことを、ものみの塔は書かないだろ。これは一致してないんだよ。

聖書によるとエルサレム陥落BC608年、終わりの時代は1913年からになりますが・・・

トレミーの規準と「VAT4956」にはいろいろな問題が内在していますから,それらを受け入れるには,バビロニア人によるエルサレムの破壊を西暦前607年とする聖書の証言を受け入れるよりも強い信仰がいります

信仰でなくて盲信ね。

「バビロニア人によるエルサレムの破壊を西暦前607年とする聖書の証言」ってさらっと書いているけど、聖書はそう証言していなくて、ものみの塔がでっち上げているだけ。

まとめると・・・

ものみの塔は1972年の「目ざめよ!」で恥ずかしい記述の連打で「VAT4956」に難癖をつけている。

ところが、40年後の2011年。新たなでっち上げの方法を発見した途端、「VAT4956」は信用できると言い出す始末。

そのでっち上げを暴いて、「VAT4956」はBC587年を証明していることを示すと、逆に、今度は信頼できないと言い出すのは目に見えている。

ものみの塔は、自分の主張だけが正しいとして、反対意見には難癖をつけ、都合よくでっち上げられそうな場合には信用できるとする。独善主義の偽予言者。


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