家族を引き裂くニセ宗教
『みんなの宗教2世問題』5章「宗教2世はいかに描かれてきたか」。
村上春樹の『1Q84』、エホバの証人がモデルになっている宗教2世が出てくる。主人公の宗教2世の青豆という女性には兄がいた。
彼女が決意して家を出たとき、彼は両親の言いつけに従い、信仰をまもって生活していた。今どうしているのだろう?しかし青豆は家族の消息をとくに知りたいとも思わなかった。彼らは青豆にとって、もう終わってしまった人生の部分だった。絆は断ち切られてしまった
家族の絆を断ち切る。これがエホバの証人。
そもそも、両親の言いつけに従い、信仰を守る必要などない。何を信仰するかしないかは子どもが自分で決めればよくて、親に強要されるモノではない。親は好きに自分の信仰を子どもに教えればいい(限度を超えるのは愚かだが)。しかし、子どもがそれに従う必要はない。子どもにも自由意志がある。
自身の願いにそって正しく行動し、腐ったニセ宗教を捨てれば、家族の縁が切れる。そんなバカげたことが起こるのが、カルトやニセ宗教。人々に害をもたらすばかり。エホバの証人はその筆頭。
エホバの証人が誕生日を祝うべき理由、家族を取り返すために・・・
取り返しのつかないモノを奪っていくエホバの証人
私も14才のときにエホバの証人というニセ宗教を捨てる決意をした。親に腐りきったエホバの証人という宗教を強要され、自由を制限されることが我慢ならなかった。
私の両親は、神の王国の到来を宣べ伝えることを第一にしていた。おバカなエホバの証人。常にエホバの証人のことを第一にするマインドコントロール状態。
私がエホバの証人をやめる決意をしたとき、このおバカな両親ごと捨てる覚悟を決めた。
私がエホバの証人をやめた後、両親も順にエホバの証人をやめ、マトモになった。しかし、それで家族がもとに戻るかと言えばそうでもない。
14才の私は自身の自由と両親を天秤にかけ、両親のほうを捨てた。この時点で私にとって、両親は「終わってしまった人生」の一部だった。後に両親がマトモになって戻ってきたからと言って、家族がもと通りになることはない。
とはいえ、社会に害をもたらすエホバの証人をやめて、マトモになってくれたのはよかった。人間としての最低限。
両親の脱会によって、終わってしまった人生の一部がまた始まったと言えるのかも知れない。しかし、宗教抜きの普通の親子関係を築いてこなかったまま、既に私は大人になっていて、両親は高齢。どうやって親子関係をやり直せというのか?
エホバの証人は親子関係を壊し、取り返しのつかない家族の時間を奪っていく。まさに邪悪な宗教。