宗教2世に対する教師の姿勢
こども家庭庁の研究事業、「保護者による宗教の信仰等に起因する児童虐待に関する調査研究」報告書。第6章、当事者(宗教⼆世)調査。
「学校で相談をした経験」に関する回答。
部活、武道の授業、学校行事への不参加を教師に告げたところ、教師は
状況の⼼配はしてくれなかった
理解を得られた。でも、特にそれ以上に話を聴く等のことはなかった
特に介⼊されなかった
深⼊りはしてこなかった
という回答。
信仰の⾃由に理解があるという⼀⽅で、腫物に触れるようだった
教師は責任を取りたくない。宗教親という厄介な存在にできるだけ相対したくない。放っておけば1年後には宗教2世の担任をハズれるかも知れないし、数年経てば卒業していくので、穏便に済ませたい。
ほとんどの教師の考えはこういうデフェンシブなモノだろう。だから、教師には宗教2世問題について何も期待できない。期待するのも酷だろう。
学校で宗教虐待が想定される場合、一律に児童相談所への通告を義務化
そこで、私からの提言。
学校に宗教2世がおり、宗教虐待を受けていると想定される場合には、一律で児童相談所に通告すると決めればいい。
児童相談所に相談されても何が起こるかわからないので不安
児童相談所に繋げられそうになり、⾃分は嫌だったため拒否した
「親に電話して宗教を強制しないように話そうか」と⾔われたが、そうすることであとから家で親から報復を受けるのではないかと怖くて断った
同じ設問に上記の回答がある。各学校、各教師で対応がバラバラだから、宗教2世本人を含めた周囲が気をもみ、振り回される。
宗教虐待を受けている可能性のある子どもがいた場合、一律に児童相談所に通告。そう決めてしまえば、教師はマニュアル通りにこなしただけ。誰からも責められない。むしろ、通告しなかった場合に、宗教虐待を見逃したことになり処分を受けるようにする。
宗教2世の子ども本人も、親からの報復を怖れることがなくなる。自動的に児童相談所に通告されただけなので。
結果、学校で宗教虐待を受ける被害者の子どもがいなくなる。良いことずくめ。
「学校にいるあいだはエホバの証人でいてはいけない」と決める
宗教虐待を受けている可能性の判断だが、これもすべて決めてしまえばいい。
以前の記事でも、エホバの証人の子どもを抱える学校や教師は、児童相談所へ通告をと書いたが、エホバの証人であることを表明する子どもがいれば、その段階で通告。そう決めてしまえばいいだけ。そうすれば、教師も宗教2世本人も宗教親や世間の評価に振り回されることなどなくなる。
こうするとエホバの証人以外にも湧いてくるのが、エセ人権派の「信教の自由ガー」と言い出す奴ら。
学校でエホバの証人であることを表明させるなんてことが、著しい人権侵害なんだよ。抜群の恥ずかしさ。生涯背負う十字架になる。学校で自分の宗教の話をさせるなんてことが、余計なこと。
ここで想定されるエホバの証人チックなへ理屈が、「学校で信仰を表明できないとなると、宗教2世被害者が埋もれるんじゃないですか?」という質問。
自己を悪だと認識したうえでの、逆説的なおバカ質問なのだが、へ理屈がネクタイを締めて歩いているようなエホバの証人だと、普通にこういうことを言い出す。
それで良いんだよ。埋もれておけばいい。学校で信仰を表明させることが著しい宗教虐待。その虐待をとどめ、校内で宗教虐待を発生させないことが学校という教育機関の役割。どうせその程度しかできないんだから、それだけやれれば十分。
私の経験を振り返っても、エホバの証人というカルトにまつわる子ども時代のストレスの大半が学校生活だった。学校にいるあいだだけ、「エホバの証人でいてはいけない」と国が決めてくれたら、何と晴れ晴れしい学校生活を送れただろうか。