エホバの証人はものみの塔に仕えるカルトの証人

ものみの塔に仕えるエホバの証人

エホバの証人(JW)は、ものみの塔協会の教義を第一に考え、最優先事項とする。これがそもそもの間違い。

宗教は癒しや慰めであったり、道筋を示すものであったり、その程度のモノでしかない宗教は人のためにある人が宗教に仕えるのではない。宗教が人に奉仕すべき

宗教を人間より上位に持ってくるとおかしなことになる。日常生活や、人生を投げ打ってまで宗教活動に従事しなければならなくなる。

宗教を生業としている人だけがそうすればいい。それで飯喰っているんだから。代々の神官であるとか、僧侶として出家したとかそういった人々。我々のような宗教的素人が、何らかの宗教や神にのめり込み過ぎるのは良くない。

宗教と日常生活とのバランスを崩し、最大限に宗教への前のめりを要求してくるのがカルトであり、その先には破滅が待っている。精神の荒廃、家族の崩壊、経済的な損失も計り知れない。何ごとにもバランスが重要。

エホバの証人は聖俗のバランスを一切認めない。俗っぽいもの全てを完全悪だとしている。極端なカルト。

エホバの証人は、ハルマゲドンでこの世の全ては無に帰するとマインドコントロールされている。そのため、全財産をものみの塔に捧げることも厭わない。無意味に質素な生活を送り、最後には経済的に破綻。いつまでもハルマゲドンが来ないから。そして悲嘆にくれた家族は崩壊する。

エホバという疫病神がもたらす人生の破滅

世界の破滅を祈るエホバの証人

エホバの証人というカルト宗教

エホバの証人としてマインドコントロールが進むと、社会的なルールよりものみの塔の戒律や主張、教理を優先するようになる。

エホバの証人は神権的戦術と称して、神の是認を得ているという勝手な主張のもと偽善的な行動をとる。一般常識や国の法よりものみの塔の指示に従う。エホバの証人がカルトであると言える一因として、このような反社会的な面があげられる。

エホバの証人は「ものみの塔協会の布教活動で来ました」とは勧誘の際には言わない。「ボランティア活動で来ました」と言葉を濁す。

エホバの証人の大会で学校を休むことが先生に認められなければ、親は「風邪を引いた」とでも電話してエホバの証人の子供を休ませる。

こういった行動がエスカレートしていくと何をしでかすか解らない。エホバの証人は危険なカルト集団。

エホバの証人が神の是認を得ているというのは、ものみの塔が勝手に主張していること。神エホバというのも、ものみの塔が勝手に造り出した架空神。

要は、すべてものみの塔という組織がつくりだした、エホバの証人たちを都合よく誘導するための仕組み。


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