時間のかかるエホバの証人2世の解放

中学2年生のエホバからの解放

私が中学2年生から3年生に進級する時にだけ、担任の先生が変わらなかった。しかし私は中学2年生の秋頃に信仰を捨てていたので、これは逆にやりにくかった。今年から何でもやりますという訳にもいかないのである。急に部活に真面目に参加しだすというのも今更という感じだった。

仕方が無いので都合の良いところだけ未だにエホバの証人であるような顔をしていたのである。中学3年生の給食の時に私が合掌していたかどうかはもう覚えていない。ただ両手の両指を組み合わせたエホバの証人の祈りのポーズをとるという馬鹿馬鹿しい行いからはようやく解放されていた

子供の心の底にまで染み付くエホバの証人の教義

中学3年生の修学旅行で、寺で座禅を組みますという企画があった。エホバの証人の2世にとって寺で座禅を組むなどという行為は絶対的な禁止事項である。もろに別の宗教活動だからだ。

この頃の私は既にエホバへの信仰を捨てていたので、事前に担任の先生に座禅は組めないなどと証言はしていなかった。しかし別のクラスにいたエホバの証人の2世たちが、我々は座禅が出来ないと私のことを含めて証言していたようである。座禅の時間が来ると担任の先生がわざわざ私に別の部屋で待っているようにと指示をしてきたのである。

その頃の私は何となく座禅だとか寺社仏閣というものにも違和感というか居心地の悪さを感じていたので、これはありがたく退避することにした。物心ついたときから神社や寺は異教の宗教施設で忌避すべきものだと教え込まれていたので、神社や寺に違和感なく普通に参拝出来るようになったのは最近のことである

つい最近まで、私は全ての神々を否定する無神論者で通していた。付き合っている彼女と初詣に行ったりしても手を合わせず怪訝な顔をされることもあった。エホバの証人の2世が一般社会に馴染んでいくにはとても時間がかかるのである。ものみの塔協会のマインドコントロール状態から抜けるのは子供の頃から教義を叩き込まれた2世にとって至難の業なのだ。

真面目な顔で座禅をするなんていうことは中学生の私にとっては馬鹿馬鹿しく、生徒会長を選ぶのに清き一票をなんて叫んで回る行為も私にとっては苦手なことだった。エホバの証人は選挙活動を行わず、投票には絶対行かない。神以外のいかなるものをも支持しないという教義のためである。よってエホバの証人の2世も学校の生徒会選挙などには関わらず、投票も拒否するのである。中学3年生のときには、こういった局面では宗教上の理由でともはや冗談半分に、都合よくこの宗教を利用していたのである。


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