エホバの証人(JW)対策として、作成するべき覚書

「ずれ」を呑み込ませるカルト、「ずれ」を受け入れる信者

昨日の記事でカルト入信前後のイメージと現実の「ずれ」について書いた。カルト教団は、その「ずれ」を覆い隠すことに長けている。

家族が幸せになれるからとエホバの証人の集会に行ったのに、集会に行きだした途端、家族の機嫌が悪くなる。これも「ずれ」。現実が悪化しているのだから、すぐに辞めるべき。エホバの証人に関わる前のフラットなゼロ地点に戻るべき。

しかし、エホバの証人組織側はこの「ずれ」を上手くごまかす。事前に「家族は必ず反対します。それはエホバの証人が真理だから、サタンが邪魔をしているんです」と予言めいたことを言う。

どう考えても「エホバの証人がカルトで、家庭をないがしろにしているから」家族関係が悪化したのだが、そう気付ける健全思考状態の人は当初からエホバの証人の相手などしない。

「予言が当たった!」と「ずれ」を呑み込み、妄信の沼へ潜ってしまう。するとますます健全社会へ戻れなくなる。

2023新年一発目、エホバの証人の存在しないより良い未来のために

エホバの証人対策としての覚書の作成

“エホバの証人(JW)対策として、作成するべき覚書” の続きを読む


エホバの証人からの脱会ステップ、認知的離脱と組織的離脱

エホバの証人の認知的離脱と組織的離脱

『近現代日本とエホバの証人』から。第五章「忍従の時代」後半部分。

昨日の記事で、エホバの証人を辞めるステップについて、自分の意思で考えて辞める方が回復が早いと書いた。その点、本書は的確に言語化している。

まずは、エホバの証人を「辞める」の定義。

「脱会」を「一度は教団の教理を受け入れた人が、教団の教理を認知的に拒否し(認知的離脱)、組織的活動への参加を辞めること(組織的離脱)」と定義

私は教団の教理を受け入れたというか、ほぼ生まれながらに親や大人の信者から、世界とはそういうものだと、エホバの証人が真理だと洗脳された。

脱会後の予後については

組織的離脱よりも、認知的離脱が先に生じた場合のほうが脱会後の「社会的リアリティの再定義」がスムーズ

であるとされている。

私の場合は認知的にエホバの証人の教理を拒否するより先に、組織的な活動を辞めた。エホバの証人の求める永遠の命より、刹那の輝きの方が価値が高いと考えてエホバの証人を辞めた。

エホバの証人の教理を疑う余地はなく、価値観の違いにより教理を拒否。認知的拒否ではなく、直観的な拒否。本書の書く通り、先に組織的離脱を果たした私の予後は悪く「社会的リアリティの再定義」がされるまで、組織的離脱から20年近い時を要した。

そもそも組織的離脱と認知的離脱の双方を持って「脱会」と言うのなら、私の脱会が完了したのは組織的離脱の10年近く後のこと。

その間、来るハルマゲトンに備え、刹那的欲求を叶えることに執心していた。いつ死んでもいいと覚悟を決め、刹那を生きる若者に「社会的リアリティ」など備わるはずがない。

まずはエホバの証人教義からの認知的離脱を

“エホバの証人からの脱会ステップ、認知的離脱と組織的離脱” の続きを読む


エホバの証人の脱会を阻む、脱会防止の呪い3つとは

エホバの証人はなぜこんなに頑なになるのか

『近現代日本とエホバの証人』から。第五章「忍従の時代」後半部分。

本書に出てくるエホバの証人脱会経験者のB氏。脱会時の心境を以下のように語っている。

「脱会カウンセリングだけは受けるまい」と思っていた

「カウンセラーの説得によって、つまり他人の意志によって辞めることを促される、それでは今までの生き方と変わらないと思った」

ここでいう

「今までの生き方」とは、教団が提示する「真の宗教」やその判断基準に囚われていた生き方

のこと。「真の宗教」論争については昨日の記事で触れた。

これを読んでいて感じたのは、エホバの証人になると、人はなぜこんなに頑なになるのか?ということ。エホバの証人をやめるという、最良にして自由な人間として生きる唯一無二の選択なのに、なぜそこに時間をかけるのか?

脱会カウンセラーでも何でも良いのでスパッと辞めればいいのでは?というのが私の意見。「今までの生き方」で人生をさんざん弄ばれ、搾取され騙されてきたのだから。それより悪化することはない。

であるのに、脱会という最善の決断をするときに限って「今までの生き方」とは違う何者にも囚われない生き方をしたい。自分の頭で考えるんだとなる。

今まで、他人の意思でコントロールされてきたのだから、辞めるときも誰かの意見を聞いたっていいものを。なぜそこだけは自分の意思で辞める決断をしなければならないのか?

その理由、エホバの証人には、脱会防止の呪いがかけられている。3つの脱会防止のための呪い。

エホバの証人がかけられた脱会防止の3つの呪い

“エホバの証人の脱会を阻む、脱会防止の呪い3つとは” の続きを読む


エホバの証人の「永遠の命、それは象徴的な意味でした」って「新しい光」

エホバの証人、タイプ別の脱塔アプローチ

昨日の記事で考えた動機別のエホバの証人の4タイプ。今日はそのタイプ別にいかに脱会させるかを考える。

ご利益主義の①特権と②永遠の命型。このタイプはご利益が無くなれば、もしくはご利益などないと認識すれば、または今まで追い求めていたご利益が無意味と気付けば、脱会せざるを得ない。

マインドコントロール強固型の②永遠の命と④神の主権型はマインドコントロールが解ければ時間の問題。

ご利益主義者でもなく、マインドコントロールも浅い③人間関係型。このタイプは本人でなく周りを落とす。周囲が脱会すれば、安心して脱会に走るだろうし、周囲に脱会の流れが起きれば脱会派の筆頭となるはず。もとからマインドコントロール下に無いので。

③の周囲に位置する人々。どこから攻めるか。③の人間関係型は自分の人生を損ねてさえも家族を失いたくないという自己犠牲型。この逆の人々が狙い目。①②タイプにその傾向が強い。ご利益が無くなれば、エホバの証人をやめると。自己の利益を優先するタイプ。

エホバの証人の「新しい光」を逆に利用する

“エホバの証人の「永遠の命、それは象徴的な意味でした」って「新しい光」” の続きを読む


JW的腐臭を放つ人間関係を整理する、腐り組織からの脱会のススメ

エホバの証人(JW)組織の本質とは

『良心の危機』、付録部分から。

著者がエホバの証人(JW)組織を排斥された後、それに抗して書いた手紙より。

エホバの証人に求められる態度は

人の良心は「統治体が却下することができる」

統治体の言うことなら何でも「オウム返しに繰り返している」人間

がエホバの証人的な優秀基準。

統治体を崇めることが要求されるエホバの証人は

多くの教会関係者が、自分たちが「母なる」教会と呼ぶ教会の指示することをすべて鵜呑みにして受け入れていた過去何世紀もの歴史

をなぞっていると言える。

エホバの証人とは、

単に人間が造り上げた基準、つまり本当は霊感を受けておらず、神の言葉の裏付けもないのに神の基準だといわれている基準に従っている

組織。

ここまで理解すると、エホバの証人に関わることが無意味で時間の無駄、人生の汚点となることは明らか。救いの経路などではあり得ない。

ここまで理解していた著者が、エホバの証人組織からの排斥処分に対して再審を上訴していたのはなぜか?

エホバの証人的腐臭を放つ人間関係を整理する

“JW的腐臭を放つ人間関係を整理する、腐り組織からの脱会のススメ” の続きを読む


エホバの証人(JW)二世、カルト信者を身内に抱える苦悩

元エホバの証人二世にとっての真理

昨日の記事で、エホバの証人の人生は無意味であるだけでなく有害なので、エホバの証人をやめるべきだと書いた。無価値ならまだしも、世界に害悪を振りまいて一度限りの人生を終える哀れ。

どんなに高齢で後戻りが出来なくとも、例え死の床にあろうとも、エホバの証人をやめて、少なくとも悪ではない側に戻らないといけない。

ただ、これは一般論で実際に自分の親が深いマインドコントロール下のエホバの証人だとしたら。老齢で、ほぼ全人生をエホバの証人にフルベットしていたら。

今さら、エホバの証人をやめて幻滅、ショックを受けて打ちひしがれて、そのせいで体を病んだり。それを面倒くさく、疎ましく思うのも理解できないではない。

しかし、自分の親族が社会に害をもたらしている状態。それで良いのか?それを放置していいのか?

その有害物質から逃げ出すので精一杯だったという気持ちも良く分かる。私も親がエホバの証人である限りは親を捨てる覚悟だった。

これはやはりちょっと幼稚な白黒二択のエホバの証人的思考かも知れない。しかし、子供の頃からそうやってエホバの証人に育てられたので仕方ない。真理か真理じゃないか。私にとっての真理は、

エホバの証人組織とエホバの証人活動は完全悪。なので、この悪に関係する者が身近にいる場合は、愛を持ちつつも毅然とした態度を示すべきだと思う。

親を捨てる覚悟を決めるエホバの証人二世

“エホバの証人(JW)二世、カルト信者を身内に抱える苦悩” の続きを読む


エホバの証人(JW)の人生の展望とは、今日から生き直し

他の人の役に立つどころか、害でしかないエホバの証人の人生

『良心の危機』、第13章「展望」から。

いよいよ最終章なので、著者はエホバの証人の展望を予測(予言ではない)するとともに、人生の展望について下記のように書いている。

終わりに近づきつつある人生を省みて本当に何らかの満足をもたらしてくれるのはただ一つ、その人生が他の人たちのためになった度合いだということである-まずは心の最も深い部分において、それから精神的、物質的な面において。

自分の人生が他の人たちのためになった度合い。エホバの証人の場合はこれが激しくマイナス。他人に害をもたらし、社会に迷惑をかけた。

本人たちが人生を省みることなどなくとも、エホバの証人は生きながらにしてそのリターンを受けている。

家族を失い、精神を病む。エホバの証人の人間関係を維持するには、真実を曲げ続けるしかない。そんな人生に一遍たりとも満足はできないだろう。そして、復活とか永遠という妄想教義に逃避する。

エホバの証人が試されるのは、神でなく組織への忠節

踏み絵を踏むのを許されるエホバの証人、許されないエホバの証人

エホバの証人が生き直すには、幻滅のショックを受けるしかない

“エホバの証人(JW)の人生の展望とは、今日から生き直し” の続きを読む


『良心の危機』、やっと出てきた爽やかなモノとは・・・

唯一の清涼なるモノがJW脱会の成り行きという皮肉

『良心の危機』、第12章「最終攻撃」から。私にとっては、エホバの証人にまつわることは不愉快そのもの。子供の頃にこのカルトを強要されて、人生の大きな恥部になったから。

そのエホバの証人に関する本書の中で、ようやく出てきた清涼なるモノ。

著者はエホバの証人を自ら断絶した人と食事を一緒にしたために、エホバの証人組織から排斥される。その成り行き。このエホバの証人的罪状を追求されているときのこと。先に断絶した人の方が著者の立場を慮り

もし自分と付き合うのが賢くないと判断するならそれはそれで構わないとも言ってくれた。

その一年半前、この立場は逆であり、著者の方が先に排斥になる可能性があった。相手はまだ断絶前。しかも著者いわく

そちらのご家族は多い。奥さんも子供さんもご兄弟もお孫さんも親戚も、全員エホバの証人だ。排斥になった私がアラバマに戻って来たらずいぶん厄介なことになる

それでも、戻って欲しいと言われた著者。

今度は立場が逆転したのだから、ここで釣り合いのとれないことをするわけにはいかない、と私は言った。真理のため、そして他の人のために良心に従って行動した人を邪悪だと決めつけるような意見に同調するわけにはいかない。

これらが、エホバの証人組織を追い出される、追い出されないのために割かれた腐心であることは、全く爽やかではない。とはいえ、心意気のようなものだけを受け止めると、ここには友情と「白を黒とは誰にも言わせない」芯の通ったモノがある。

家族親戚がエホバの証人だらけ。その状況で排斥者を囲うと自身までが親戚中から排斥され忌避される可能性大。著者は老齢になるまでの人生全てを賭けた組織からの排斥の危機。本人たちにとって失うモノは相当に大きく感じられたはず。

どっぷりエホバの証人に浸かった人の中にも、自分基準で相手を思いやり行動でのる人物がいるとは驚き。組織に家畜化されずに、自分の意思、判断能力を残している人物。他人をただ単に純粋に思いやれる人物。

『良心の危機』、著者のものみの塔感覚に対する違和感

『良心の危機』、リーダーは被害者意識で罪から目をそらすな

いざ、自由な大海へ

“『良心の危機』、やっと出てきた爽やかなモノとは・・・” の続きを読む


『良心の危機「エホバの証人」組織中枢での葛藤』、回り道回避の一冊

『良心の危機』、もっと早く読んでいたら

今さらながら『良心の危機』を読み始める。私は組織や教義の矛盾を感じて(いわゆる、”つまづいて”というやつ)エホバの証人をやめたわけではないので、こういった背教本を読む必要が無かった。

ものみの塔やその教義が正しかろうが、自分の好きなように生きることこそ人間の成すべきことだと考えてエホバの証人をやめた。人を殺めたり、モノを盗んだりしない限り、人間は自分の望む生き方をするのがベストでこれは普遍的真理だと今でも考えている。

なんでもかんでも押しつけてきやがる、エホバという神とものみの塔は鬱陶しくてたまらなかった。自然だらけの「楽園で永遠に生きるのが幸福です」って、しょうもない価値観を勝手に押し付けるなと。

この真理に、良い大人になってもたどり着かず、エホバの証人上層部に上りつめた人間が何を言ってやがるという感覚で、この本を手に取ることはなかった。
※本書はエホバの証人最上層の統治体成員として9年も活動した人物の執筆

今となっては、脱会直後にきちんと本書を読んでいれば、洗脳があっさり解けていたかも知れないと、ちと反省。情報を集め、精査する姿勢が欠けていた。

『星の子』の両親、早く風呂入れ~世界を広げることの効能

二度の人生の回り道

“『良心の危機「エホバの証人」組織中枢での葛藤』、回り道回避の一冊” の続きを読む


エホバの証人(JW)2世の子供、親に対する条件付きの愛

エホバの証人の子供、条件付きの愛

エホバの証人(JW)という宗教の2世信者だった私は、親を捨てる覚悟でエホバの証人からの脱会を決意。14才の秋、大昔のできごと。

エホバの証人はエホバの証人しか愛さない。エホバの証人の親は、子が「エホバの証人であるなら」という条件付きの愛しか持っていない。そういった内容の昨日の記事を書いて以来、考えていた。

私は、異常に熱心なエホバの証人だった両親を捨てる覚悟が出来ていた。そんな冷酷な私は、親に対して条件付きの愛しか持っていなかったのではないかと。悲しいが仕方ない。そんな薄情者だから今の自分がある。

エホバの証人の親は持ちえずとも、子は持つと言われる無償の愛、無条件の愛が私にはなかった。私の親に対する愛は条件付き。両親が「エホバの証人でないなら」という条件付きの愛情。

『解毒』~エホバの証人が持たない無償の愛

人生の答え合わせは出来ないのなら・・・

“エホバの証人(JW)2世の子供、親に対する条件付きの愛” の続きを読む