問題の本質から目をそらすために小さな矛盾をつつく詭弁
エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年を崩す。
ものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。エホバの証人が主張するBC607年エルサレム陥落をこじつける記事。
一般に確定しているBC587年エルサレム陥落を裏付ける3つの根拠に難癖をつけている。
2つ目。商取引関係の粘土板。この根拠にどうでも良い矛盾を見つけて、自論を正当化しようとする詭弁。昨日までの記事の続き。
ネブカドネザル2世からその息子アメル・マルドゥク(エビル・メロダクとしても知られる)へと支配が移行した時期に関する以前の結論が「完全に覆された」
「完全に覆された」って煽情的な部分だけを局所引用して、商取引関係の粘土板全体の信頼性に傷がつくように、おバカな読者を誘導している。
落ち着けって。ネブカドネザルからマルドゥクへの支配が移行した「月」に関する結論が覆っただけ。年単位では確定している。たいしたことじゃない。
なぜ覆されたのでしょうか。サックは,それまで幾つもの粘土板に基づいて,ネブカドネザル2世が最後の統治年(第43年)の第6の月にもまだ支配していた,と思っていました。ところが,新たに解読された,次期の王アメル・マルドゥクの即位年のものである数々の粘土板は,その同じ年とされていた年の第4の月と第5の月のものだったのです
矛盾があったことは明らか
その小さな矛盾がどうしたっての?新王の即位が4月だろうが6月だろうがネブカドネザルの引退年は変わらない。バビロンの王様の統治した年代を計上するにあたって何の問題もない。
ネブカドネザル2世は,後継者が統治し始めたとされている時から6か月後の,第10の月にもまだ支配していました
これも年代は変わらない。エルサレム陥落の年代を特定するにあたって、大きな問題ではない。
問題の本質から目をそらすために、小さな矛盾をさも大きなモノのように語る詭弁。
“ものみの塔協会の正当性は「完全に覆された」。というか、もとから無いけど” の続きを読む