カルトに囚われていた時の延長線上に
『宗教2世』より。Session1-6。
旧統一教会から、脱会した後の話。やめた後、
教会への不信感はあったけれども、学んだこと、教義は間違っていなかったということで、婚前交渉に否定的であるとかは変わらなかった
これは旧統一教会の例だが、エホバの証人でもありがち。教理のあの部分は正しいとか、中の信者は良い人ばかりだとか。エホバの証人の一部を擁護しがち。
例えば、「輸血拒否は間違っているが、終わりの日は近い」とか言っちゃっう人。他にも「信者を忌避するのは間違っているが、結婚まで純潔を保つのは正しい」とか。「中にいる人たちは純粋な信仰を抱く良い人ばかりだ」とか。
これって全く学んでいない。1世信者ならカルトに堕ちた失敗、2世信者ならカルトで体験したことを、全く活かしていない。
カルトをやめたのに、まだ自分の頭で考えていないから、そんな結論が導き出される。カルトの後遺症とも言えるのだろうか。
自分の頭で考えて、教理を取捨選択しているつもりなのだろうが、それが甘い。取捨選択している情報が、結局カルトの中だけ。外もきっちり見ないと。そこで手を抜くと、カルトに囚われになっていたときと同じ。
カルトによって制限された視界でしかモノゴトを見れないから、自分の意思を持ちえない。カルトによってねじ曲げられた情報しか取り込まないから、自分の意思で行動を決められない。
カルトの教理の一部は正しいとか、信者に良い人はいるとか、そう言っている間は、まだカルトに囚われていた時の延長線上にいる。カルトの教理や信者は全部捨てて、ホンモノの世界を見ないと未来は開けない。また行動を誤ることになる。
さらなるカルトの後遺症とは
何か自分が信じていたものがなくなると、何かそれに近いものを探して、別のものに入信したりとか、マルチや変な健康食品とかにハマっていく人とかが多い
宗教カルトではないが、別の消費カルトに
ハマると。私も別のモノに散々ハマった。ギャンブル、タバコ、酒、キャバクラ・・・。
ハルマゲドンが来ると洗脳され、将来の計画を放棄していたところから洗脳解除に至り、自暴自棄になった。これも自堕落なモノにハマった一つの要因。
幼少期からの宗教虐待で依存性の高い性質だと言うのもある。何かに全力ですがらないと生きていけない病。
あとは、エホバの証人が大っ嫌いなので、エホバの証人らしくない生き方をしないといけないという逆洗脳状態にあったのも要因。ギャンブル、大酒、不道徳は非エホバの証人の代表格。
起きればタバコを吸い、夕方になれば酒を飲みという生活。この頃は、自由な意思決定が出来ていなかったかも知れない。習慣と惰性で反応しているだけ。
こんな自堕落な生活は、全くいいモノではないのだが、エホバの証人をやっているよりはマシだった。
毎日パチンコ屋に行っていたときの方が、2世信者だった頃より100倍楽しかった。胃袋がひっくり返るくらいにウイスキー飲んでたときの方が1000倍楽しかった。毎週末、隙あらば平日でもキャバクラに行って、家計が火の車だったときの方が、エホバの証人の集会に連行されていたときより1万倍楽しかった。
それくらい、エホバの証人である時間は最低極悪な人生の無駄、かつ有毒な時間。何の役にも立たないだけでなく、人生の汚点になる。
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