もしも教祖が死んだら・・・
『カルトの花嫁』第7章。著者の洗脳が遂に解ける。理由は教祖の死。最強のメシアで不死のはずの教祖の死。
教祖制カルトの場合にはこれがある。教祖が死んだり、捕まってみっともない小市民姿を晒したりすることで、信者の洗脳が解けることがある。
著者の場合、心が既に統一教会から離れていたので、文鮮明の死が洗脳解除のトリガーになった。
逆にカルトが習慣化して心身の一部になっている信者や外界の居場所を失っている信者は、教祖の死くらいでは揺るがない。教祖が死んでも固ーいマインドコントロールは解けないし、自身の唯一の居場所を簡単には否定できない。
なんやかんやで教団に都合の良い曲解で教祖の死を解釈する。
エホバの証人の場合は教祖はいない。しかし、組織最上層の統治体メンバーが死んだら、昇天し地上を統治するという都合の良い設定になっている。いずれ天の方が溢れかえる。
生死スレスレのカルトサバイバー
統一教会から斡旋された韓国人夫の一人目。こいつも相当なダメ男でDV夫だった。洗脳が解けた著者は10年ぶりに会い、父親としての自覚を問う。ところが、
やはり人間はそんなに簡単に変われるものではない
変化の意思のない者は変化しない。ダメ男はダメ男のまま。
ダメ男は
「いっそのこと全員を殺してしまおうかと思った」と言った
著者は
本当にぎりぎりの状況で生きていた
これがカルト信者の生きている世界。現実が薄れ生死の境が低くなる。たった一つの命、たった一度の人生なのに、その価値を軽んじる。
エホバの証人も同じ。私のようにエホバの証人を子供時代からサバイバルした者たちはぎりぎりの状況をくぐってきている。たまたま生き延びたと言っても過言ではない。
エホバの証人たちは輸血を拒否するカードを首からぶら下げている。私も親の指示でそのカードを携帯させられていた。
何らかのアクシデントで意識不明に陥り、輸血が必要になったとき。物言わぬ本人に変わり、首からぶら下げたカードが輸血を拒否する。そうして命を投げ捨てる。
事実、私も命の危険は無かったが骨折の手術の際に輸血を拒否し、医療機関に多大な迷惑をかけた。例え命の危険が絡んでいたとしても、両親は同じ決断をして一人息子の私を殺したことだろう。
さらに、死んでも復活がーとか、永遠の命とか、昇天とか、現世唯一の命の価値を貶める教義。命を軽んじるよう洗脳される。
カルト宗教のサバイバーはかろうじて生き延びてきた。子供を殺し、信者の生死の垣根を低くする。そんな宗教が果たしてこの世界に必要だろうか。
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