信教上の都合で学校行事に不参加というのはあり得ない
昨日の記事でカルト宗教親の親権は停止しろと書いた。それではどこから親権停止事由とするか。どこからカルト宗教親と認定するか。
判断は難しいのだが、学校で子供が「信仰上の理由でこれこれが出来ません」と言い出したらアウトで良いと思う。
「カッコ悪いから」とか「面倒くさいから」何らかの活動をやりたくないと子どもが言えば、それは教師や親によって矯正される。それが教育。しかしそれが「信仰上の・・・」になると皆尻込みする。
しかし、「子どものわがまま」も「信仰上の理由」も同じ。やらせればいい。大人になるまでは強制してでもやらせる。逆に強制してやらせられないことを、他の子どもに学校でやらせているのがおかしい。
エホバの証人がどう言おうと、学校行事に宗教的意味はないと言い切ればいい。実際にない。単なる真似事。学校のクリスマス会もハロウィンも異文化教育。武道も護身術、体育教育の一環。
親がそこに口を出して制限することこそ、信教の自由の濫用、人権そのものの侵害。
カルト信者に自由や権利など必要ない
子どものうちは、カルト宗教親から子どもを保護する。子どもは成人すれば、エホバの証人になるかどうか、カルト信者になるか否かを自分で決める。
こうしてカルト親と異なる教育を施された子どもは、自分の親が間違っている、騙さていると早めに気付ける。それならば、成人した段階で愚かな選択をする可能性は低い。このようにして
恵まれない子どもを教え育てるのが、成熟した社会の役目。
信教の自由を盾に、子どもの人権・自由を侵害する者に過度の権利を与えるべきではない。自分で選んだ道がどこまでも愚かな道であるエホバの証人に、親権など与えるべきではない。
むしろエホバの証人として生きている愚かすぎる者たちに自己決定権などない。「輸血せずに死にます」とか言おうが関係なく輸血すればいい。相手にするのは時間の無駄、医療資源の無駄。
「投票しません、世俗の権威は指示しません」と堂々と主張している輩には公共サービスを制限すればいい。政治参加していないのだから、それは当然の報い。愚かな者に過度の権利や自由を保障すべきではない。
ただ、ここまでやると過激すぎて賛否両論というか、こんな意見への賛同者は少ない。だから、まずは子どもの保護から。宗教強制親の親権は停止せよと。
エホバの証人なんて騙されてマインドコントロールされているから、自分の意思なんてとうに放棄、失っている。自分の頭で考えることなど全くできていない。そういう意味では実は子ども以下。
エホバの証人は子ども程度の判断能力すら有さない。そんな者たちに対しては、自由とか自己決定権などを認めず、周囲がサポートしてやるのが、本来の寛容さ、優しさ、それこそ成熟した社会なのだと私は思うのだが。
そもそも、信教の自由を盾に人々の平穏な生活を蝕むカルト宗教の存在を許している「今」の状態が異常。存在してしまっているものは仕方がないので、これらを適切かつ速い速度で無に帰す。こういった議論がなされていくべき。
“エホバの証人に権利とか自由は必要ない、なぜなら・・・” への1件の返信