カルト3原則その3「マインドコントロール」
昨日までの記事で、壺を買わされたり輸血拒否をしたりというのはカルト宗教の悪意の表出に過ぎず、本質は共通。それをカルト3原則としてまとめている。
カルト3原則
- 自由意志の剥奪と人権侵害
- 騙し
- マインドコントロール
カルトに共通の本質その3「マインドコントロールを行う」としたのだが、果たしてこれで良いのか?
「家族を人質にとって信仰を強要する」「子供に信仰を強要する」なども候補に入れたのだが、これらは1の自由意志剥奪に含まれている。
エホバの証人が陥っているのはマインドコントロールでなく、ただの思い込みだとか、行動や考え方を変えたくないという悪習慣であったりという説もある。マインドコントロールなんて言い出すと話がややこしくなると。
各種意見はあるのだが、私自身の経験からするとマインドコントロールのようなものはエホバの証人には存在すると考えている。そして、同じ穴のムジナである他カルトのお仲間にも存在する。
マインドコントロールとは?
『マインド・コントロール 増補改訂版』では、マインドコントロールについて以下のように定義している。第二章から。
マインド・コントロール(心理的操作)とは、人の思考や感情に影響を及ぼすことにより、思い通りに行動を支配すること
人々の行動は人々の意思の結果。行動が変われば意思も変ったということ。意思が変わるのに、第三者の介入があれば、それは第三者に変えられた意思。そして、行動も第三者の思い通りに変えられる。これがマインド・コントロール。
マインド・コントロールは程度の多寡から善意のモノ悪意のモノまで様々。
ぐずって着替えない子供を言葉や拍手でおだてて着替えさせるのもマインドコントロールだし、輸血拒否で命を落とさせるのだってマインドコントロール。前者は規模が極小で善意のモノであるのに対して、後者は極大の悪意。
エホバの証人の思い込み「エホバの証人組織は真理の組織で間違いない」もマインドコントロール。エホバの証人組織は信者を妄信させて、人生を捧げさせるという思い通りの行動をさせている。
エホバの証人は、毎日、布教活動に出たり王国会館という集会所に通ったり、輸血ダメ、絶対!と愚かな行動をとり続ける。
考え方を変えたり見直したり、間違いを認めて行動を変えたりするのは多大なエネルギーを使う。エホバの証人はそれは避けて、慣性に従って奈落の底にまっしぐら。惰性で堕ち続けるのが楽だから。思考も変らず行動も変らず。
そうも考えられるが、「エホバの証人組織外の意見には一切耳を貸すな」という教団の教えに行動を支配されているとも言える。エホバの証人がどこまでもかたくなに正論を受け付けないのは、組織外のモノ=悪と思考を操作されているから。
結果、エホバの証人が人生を圧倒的に損なう行動をとり続けるのであれば、やはりエホバの証人はマインドコントロールされていると考えるべき。
そして、エホバの証人のお仲間カルト宗教もマインドコントロールを常套手段としている。
何らかの宗教に関わって、バカみたいな値段のする壺や水を買ったり、宗教活動のために早起きして子供をネグレクトしたり、結婚相手に制限をかけたりするようになる。
宗教によって行動を変えられる前の自分からすると、考えられないような行動をとっているのなら、それはマインドコントロールの結果。
“カルト宗教の本質、カルト3原則その3「マインドコントロール」” への2件の返信