エホバの証人脱会、単独戦闘は大きな迂回に
昨日の記事で、エホバの証人脱会の戦いに挑む私に味方はいなかったと書いた。
たった一人、何とかエホバの証人からの脱会に至るのだが、脱会後も私は単独行動を続けた。当時、自分の周囲は敵だらけだと思って生きていた。このせいで、大きく大きく私の人生は迂回した。
元エホバの証人のホームページとかメーリングリストがあるのは知っていたけれど、「元エホバの証人なんてロクな奴いないだろ」と決めつけていた。自分みたいに排他的で暴力的な化け物の集団だと思っていた。
現役信者に至っては同じ。気持ち悪くすらあり毛嫌いしていた。恐怖を感じていたというほうが正しいかも知れない。
元エホバの証人の客観的情報、エホバの証人外から見たエホバの証人という視点を避け続けた結果、私の洗脳解除は大幅に遅れた。
エホバの証人脱会という局地的戦闘には戦術的勝利。しかし、洗脳からの覚醒という大局視点での戦争は泥沼化していた。そのあいだに時間、金、信用、清廉さ、職業経験などに多大な損失を招いた。戦略的に大きく回り道をしたと言える。
今は30年前の私とは違い、スマフォをポチれば一瞬でエホバの証人外から見たエホバの証人の新鮮情報が手に入る。脱会戦闘の経験者の生の声が聞ける。共感は戦いの糧に、情報の共有には大きな戦略的価値がある。
エホバの証人脱会、共に戦おう
エホバの証人脱会を願う方々、味方になりますよ!!
同じように戦っている人がたくさんいる。傷だらけになりながら、勝利・解放された人も多くいる。
そして、生き続ける限り、人生は模索の日々。エホバの証人だったゆえに失ったモノを思い、悩む。後悔にならない後悔を続ける。それもまた戦い。そんな戦争中の人がたくさんいる。
決して一人じゃない。敵を同じくする人は必ずいる。
現代に生まれた我々が、当然に得られると思いこんでいる自由な未来。その自由は、本当はとてもありがたいモノ、この国の祖先に感謝すべきモノ。時と場所が異なれば、その自由は当たり前に得られるものではない。
自由を自ら放棄したり、取り戻す戦いを避けるのは、激しい愚行。
一緒に戦おう。
やはり、蛇の道は蛇。エホバの証人脱会という戦争を始めるのなら、味方に最適なのは戦闘経験者。傷だらけの生還者であったり、今まさに親との冷戦中だったりする同志。
私みたいな大昔の退役軍人でも何かの役に立てばと、こうした記事を書いている。たいして役には立たないが、戦時下の味方は多ければ多いほど良い。
どんなお問い合わせでも大歓迎!!お待ちしております。こちらからどうぞ→JW脱会サポート・解約相談・お問い合わせ
“エホバの証人脱会、共に戦おう。共感は戦いの糧に、情報の共有には大きな価値がある” への1件の返信