エホバの証人が探す人生の真理、そんなモン自分で考えろ

親の価値観強制に耐えるには・・・

私より先に同級生がエホバの証人のバプテスマを受けた。これを熱心なエホバの証人だった両親に比べられ、まるで私の方が劣っているかのように言われた。この話は、昨日の記事「エホバの証人の優劣を決めるバプテスマ」にて。これは宗教2世のあるあるかと。

親の価値観強制という無情な行為に、私は少年ながらに傷つきつつも、実は割と平気だった。

それは、既に自分の価値観を構築していたから。

バプテスマ同級生は田舎の朴訥な少年。しかもくそ真面目なエホバの証人。私の価値観では激ダサ。こうなると比べられても、何とも思わない。親の期待に応えられないのはどこか物哀しいが、もはや仕方がない。

私は、ハルマゲドンまでを短く太く、カッコ良く生きる。そのため、いち早くエホバの証人をやめる。そう考えていた。今でもこの考えはそんなに変わっていない。

とどのつまり、人生の真理はこれ。

自分の価値観に沿って、カッコ良く生きる。カッコ良いというのは見た目だけでなく、楽しそうに生きている奴は皆カッコ良い。楽しめばいい。人生楽しく生きた者の勝ち。

自分で考えるのをやめ、親やものみの塔協会、神エホバ(中学生の頃はこの暴虐神の存在を信じていた)の言いなりになって生きるのは、ダサい。

ダサいエホバの証人の同級生が受けるバプテスマなんて愚の極み。激ダサの極地。いくら親が望もうがそれは勘弁。

人生の真理とは?そんなモン自分で考えろ

私が14才のときに見つけかけていた人生の指針、人生の真理、このカケラが無かったら、信仰押しつけ、他人との比較、価値観強制という、宗教親の間違った教育方針で私はズタズタにされていた。

自分で考えて、楽しく生きる。これがすべて。

楽しく生きようと思って、就職氷河期のさなか就職した会社を辞めて、私はパチプロに転向した。しかし、パチプロ生活は自分の精神力の弱さで半年で撤退。

若さゆえのあやまち、バカすぎるけど、これも自分で考えて決めたこと。後悔はない。やらなかった時のほうが後悔していたはずだから。

やってみないと分からないことはやってみる(できることなら取り返しのつく範囲で)。失敗したら軌道修正。誰かに相談してもいいけれど、最後には自分で考え、自分で決める。それが最高に楽しい生き方。

それができない、それが許されないエホバの証人の生き方って、永遠だろうが不老不死だろうが、結局、無意味な人生。さらに、永遠の命も不老不死も、ハルマゲドンもあり得ませんから。


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