──実質的勝利と、次のフェーズへ──
ものみの塔と裁判をしていた件につき、応援していただいていた方、面白く思っていなかった方、すべての皆さまへご報告です。
控訴審(東京高裁)で当方敗訴後、最高裁へ上告しておりましたが、最高裁は上告を受理せず、上告棄却となりました。
これにより、私の敗訴が確定し、本件1000円訴訟は終結しました。
とはいえ、何度も書いてきたとおり、私は実質的勝利を得たと考えています。
その理由は以下のとおりです。
◆今回の訴訟の「成果」
- エホバの証人の日本法人が“寄附金流用”の事実を裁判書面で認めた
ものみの塔聖書冊子協会(日本法人)が、エホバの証人の米国法人が児童性虐待の裁判費用に寄附金を流用している事実を裁判書面で認めた。これは、第三者を交えた正式な場で初めて引き出した“確定事実”です。 - 東京高裁が、私の疑念を「合理的・現実的」と司法判断した
私が当初から抱いていた疑念── ものみの塔への寄附金が児童性虐待訴訟費用に流用されているのではないかという点について、東京高裁は判決理由の中で、 私の疑念を根拠として判断を構成しました。
これは、司法が私の疑念を「合理的・現実的」と認めたことを意味します。
-
“疑念を抱かない信者ほど誤認しやすい”という構造が判決文に刻まれた
東京高裁の判決文は、 疑念を抱かない一般的なエホバの証人ほど、寄附金の使途誤認が成立しやすいという構造を含意しています。
これは、ものみの塔の寄附制度が誤認を誘発しやすい構造的な違法性を持つ可能性を示す、極めて重要な司法判断です。
1000円裁判には負けたけれども、これはものみの塔の寄附勧誘の正当性や適法性か認められたわけでは決してありません。むしろ、ほとんど信者・大半の寄付者に対する”不当寄附勧誘の構造”が明らかになったという点で、社会的に大きな成果を得たと考えています。
詳細は以下の記事に譲ります。
エホバの証人を断絶する。むしろ訴えて寄付金を取り返して脱会する。
◆これからは・・・
これまで係争中であったため、書きたくても書けなかったこと、言いたくても言えなかったことが多くありました。今回、ものみの塔裁判が決着したことで、今後は歯に衣着せぬ物言いで、ものみの塔の寄附勧誘の構造的問題を社会に発信していきます。
あと、資金面でご支援をいただいていたこともあり、当初の公約どおり、最高裁までは降りることができないという縛りがありました。この縛りは、精神的プレッシャーとまではいかずとも、すべて自分の好きなように進められないという状態でした。
これが良いような悪いようなでしたが、以降は縛りもなくなったので好き放題でいきたいと思います。
とにもかくにも、最初の公約どおり、最高裁までやり切り、ご支援者のかたへの責任を果たしたという意味で、一つ区切りがつきました。
◆裁判を始めた理由の一つ
海外でエホバの証人が児童性虐待訴訟の加害者として有罪判決を受けていること、教団が組織的な責任を問われていること、これらを現役信者に指摘すると、連中は鼻の孔を膨らませて「ファクトは?」と言ってくる。
お前らの聖書や宗教本のほうがノーファクトなんだけどな・・・と思いつつ、ネット記事やらなんやらを見せても、「ネットの情報は信ぴょう性ガー」とか言い出す。だから、JW.orgのほうが信ぴょう性皆無なんだけど・・・なんてことはマインド・コントロール信者には通じず。
この辺が面白くなかったので、第三者を交えた正式な場で教団側に海外でエホバの証人が児童性虐待訴訟で有罪になっている事実を認めさせる必要がありました。
当初、裁判にまで持ち込もうと思った理由の一つがこれで、この狙いがあっさりと訴訟初期の段階で達成されました。そのため、気分的にはずっと楽なままで進めることができて、それでもあくまで勝利にこだわって進めてきました。
◆1年半の訴訟活動を終えて──次のフェーズへ
1年半を越えた訴訟活動もこれにて終了となります。これ以降は、裁判の成果を世間に発信していくフェーズに移っていきます。
- 寄附制度の構造的問題
- 正体隠し
- 児童性虐待訴訟との関係性
- 信者の寄附金使途の誤認構造
これらは、ものみの塔にとってのアキレス腱であることは間違いないので、この情報発信の先にこそ、ものみの塔が消滅するという良き未来が待っている、と私は信じています。


