エホバの証人の恥ずかしすぎる謎ロジック
まず、今回の輸血解禁騒動について、下記の報道記事からエホバの証人日本支部の以下の声明を引用します。
【独自】エホバの証人、「他人の血」輸血を一部容認へ 内部文書入手 全血は禁止維持
今回の発表により、今後、個々のエホバの証人は、他の人の血液に由来する4つの主要成分(赤血球、白血球、血漿、血小板)を受け入れるかどうかについて、自分の良心に基づいて決定することになります。これは方針変更ではなく調整です。エホバの証人にとって、血は依然として神聖なものです。「血を避ける」(使徒15:20)という聖書の基本的な命令と、全血を受け入れないという立場に変更はありません
そもそも「全血輸血」という概念自体、現代医療では存在しないらしく。医療現場で行われる輸血は、血液をそのまま注入するのではなく、赤血球・血漿・血小板などの成分ごとに分けて使用する「成分輸血」が基本。
つまり、エホバの証人が「全血は禁止だが成分輸血は良心で判断」と言っている時点で、現実の医療行為においてはすでに“全面輸血解禁”と同義。
血液の主要4成分輸血を解禁しておきながら、「全血(分画していない血液)輸血はダメだから、教理の厳格さは保たれている(=方針変更ではなく調整)」と言い張る、恥ずかしすぎる謎ロジック。
これって、他の世界で例えるとどういうことになるか?
エホバの証人の輸血解禁大喜利
宗教・文化編
-
イスラム教: 豚肉食を解禁します。ただし「生のまま食べるのだけは禁止」です。だから依然として豚は神聖です。
-
イスラム教: 飲酒を解禁します。ただし「メチルアルコールだけは禁止」です。だから依然として酒は避けるべきものです。
-
ヒンドゥー教: 牛肉食を解禁します。ただし「レバ刺し風の生ユッケだけは禁止」です。だから依然として牛は神聖です。
-
統一教会: 自由恋愛も離婚も再婚もOKにします。ただし「一妻多夫・一夫多妻の重婚だけは禁止」です。だから依然として純潔の教えは守られています。
スポーツ編
-
サッカー: ソックスの自由化!破ったり極限まで下げるのもOK。でも「平成のアムラー風ルーズソックスだけは厳禁」です。だからFIFAの規律は厳格に保たれています。
-
プロ野球: 金属バットもコルク入りバットも何でも使用OK!ただし「バット2本持ちで打席に立つのだけは禁止」です。NPBは用具規定を厳格に管理しています。
法律・社会規範編
-
交通ルール: 一般道の制限速度は全面撤廃!ただし「時速300km以上出すのは禁止」です。道路交通法は安全基準を厳密に保っています。
-
刑法(殺人): 殺人はすべてお咎めなし!ただし「ギロチンで首を跳ねるのだけは禁止」です。だから命の重さは変わっていません。
-
経済(偽札): 10,000円札や5,000円札の偽造は自由!ただし「3,000円札のような存在しない紙幣を作るのだけは禁止」です。
-
世紀末: ヒャッハー!火炎放射器の使用は全面的に自由化します!ただし……「汚物は消毒だぁー!」と叫びながら放射するのだけは厳禁です。これを破らなければ我が世紀末の治安と秩序は厳格に保たれています。
まとめ
「全血(分解していない血)はダメだけど、成分に分けた血(赤血球・白血球・血漿・血小板)の輸血なら各自の良心でどうぞ」……それ、実質『輸血』の全部じゃねーか!
「汚物は消毒だぁー!」と言わなければ火炎放射器を使っていいと言われているようなもので、「そんな状況あるか!」とツッコミを入れたくなるような、まさに世紀末レベルの謎ロジックです。
これまでの教理で命を落とした人や悲しい思いをした信者への向き合い方をうやむやにしたまま、「これは変更ではなく『調整』です」と言い張る姿勢。言葉の言い換えでメンツを守ろうとする組織の体質には、滑稽さを通り越して呆れるばかりです。
「全面的に撤廃しました」「間違っていました」と認めると過去の教理の正当性が崩れてしまう(過去に輸血拒否で亡くなった人や遺族への説明がつかなくなる)ため、「誰も選ばないような極端なNG(=全血)」だけを残して「我が教団の規律は今も厳格である」というポーズを取らざるを得ない……。
この「メンツを保つための大義名分」と「実質的な形骸化」のギャップこそが、今回の「調整」という言葉の滑稽さであり、罪深さでもあると感じます。
いろんな事情で全面解禁と言いたくないので、「そんな奴おらんやろ」的なのだけを禁じておいて、いまだに厳格です、とやりたいだけ。このロジックを平然と語るエホバの証人組織の誠実さは、もはや火炎放射でも消毒できないレベル。
追記
もしかすると、後進国では「全血輸血」に頼らざるを得ない医療環境が残っている状況があるかも知れず、そんな状況で大喜利しちゃってる私の不謹慎さについては、先んじてお詫び申し上げます。
ただし、ここで重要なのは、今回の決定はエホバの証人らしい「二重基準」の発動であるという点です。
成分輸血を事実上解禁しつつ、「全血だけは禁止」という建前を残すことで、医療環境が整っていない地域の信者は依然としてリスクを背負わされる。
これは、後進国の信者の命を“キリスト”──いや、切り捨てにしている構造そのものです。
医療の現実よりも組織のメンツを優先するこの姿勢こそ、エホバの証人という教団がいかに不愉快な体質を持つのかを端的に示していると感じます。
踏み絵を踏むのを許されるメキシコのエホバの証人、許されないマウライのエホバの証人


