カルトを一切容認するな
『みんなの宗教2世問題』5章「宗教2世はいかに描かれてきたか」。
今村夏子『星の子』。
原作も映画版も、カルト宗教と主人公を対立的に描かないことに力を尽くしていることは注目されて良い。つまり、単純な二項対立を避けている。
いやいや、カルトに対して単純な二項対立を避けちゃダメだろ。悪いモノは悪い。排除されるべきモノは排除されるべき。
カルト宗教に属していて対立していない者は、取り込まれ騙され搾取されている者。それが、もしも子どもなら虐待されている。
そこを勘違いしちゃダメ。
宗教2世は親を人質にとられ、誤った価値観や世界観を絶対的なモノとして刷り込まれている。存在しやしない強大なモノや強烈な暴力性によって脅されている。これが宗教虐待。
エホバの証人の場合は神エホバや悪魔サタンだったり、世界を滅ぼすハルマゲドンだったり。そういったモノで脅され信仰を強要されている。
勘違いしているから、こう続く。
家庭内にも、教団内部にも、学校社会にもなんらかの異なる困難があり、同時にそれぞれの場所で誰かの優しさに触れる機会があり、その過程をけっして虐待されてはいない宗教2世としての主人公が生きていく。
虐待されてはいない宗教2世は存在しない。ここで言う宗教はカルトの話。『星の子』でも本文でも、伝統宗教の話はしていない。
そもそも、『星の子』の主人公は宗教虐待を受けている。悲惨。『星の子』の主人公は正常な判断能力を奪われ、学校でとんでもない屈辱的な目に遭っている。宗教親や教団内部に優しさがあろうが、そんなモノは悲惨な宗教虐待の影にかすむ。
優しさの仮面をかぶった邪悪な宗教虐待を一切容認すべきではない。カルトにまつわる優しさは、宗教2世の脱会や自立、社会復帰を困難にするから余計にたちが悪い。
教団内部の優しさは見せかけだし、親の優しさは、子どもの脱会を阻害するなら有害ですらある。
(私は、宗教親の優しさに救われた面もある。なので、宗教親は虐待に徹しろとかそういったことを言っているのではない。宗教親の優しさを良いモノとして評価するなということ。)
そして、以下のように続く。
このような人生を体験している宗教2世も、たくさんいることだろう。
決して虐待されてはいない宗教2世がたくさんいるって?何言ってくれてんの?宗教2世の存在そのものが虐待なんだよ。話がややこしくなるから伝統宗教を持ち出すなよ。カルト宗教に限定の話。
おバカな世界観を子どもにねじ込み脅すのは、紛れもない宗教虐待。子どもに、カルトな世界観を真実として教えないカルトはない。
カルトな価値観を子どもに植え付ける時点で宗教虐待。おバカな価値観をガチだと信じているから、子どもたちは虐待されてない気になっちゃう。騙されているとは思いもしない。
どれだけ優しくされようが、カルトな価値観を現実だと押し込まれる生き方、追体験してみますか?イヤだろ。だったら、優しさなんてモノで容認しようとするなよ。