カルトに騙される者
『みんなの宗教2世問題』5章「宗教2世はいかに描かれてきたか」。
オウム真理教に関するドキュメンタリー映画『A』に関して(私は未視聴)、
オウム真理教のバッシングに邁進するマスメディアから距離を取ろうとするあまり、荒木ら取材対象の人間味のある言動を強調してしまう。バランスを確保しようとするあまり、「そのような人間味を持ちあわせたカルト信者たちが日本史上でも特筆されるべき凶悪犯罪に手を染めた」という事実を曖昧にしてしまっていて、結果的にバランスが破綻している
つまり、カルト信者に騙されたということ。人間味を全面に押し出して、カルト臭を消そうとする常とう手段。信者側が作為的にそうしているのか、ナチュラルに無垢な人柄なのかは問わず、カルトが勧誘に使う方法。
バランスを失っているカルトに近づくには・・・
カルトは既に大きくバランスを崩している。そういったモノに対峙するのにバランスを取る必要はない。大きく傾いたモノにバランスを保って近づいたら、そのまま傾いた方向に一緒になって転がっていくことになる。
カルトが傾いている方向と反対に傾かせ、カルトにこそバランスを取らせるべき。バランスを取った時点でカルトでなくなるので、この企てが成功することはないだろうが。
カルトが激しく傾いてバランスを失っていることを認識している者だけが、カルトに近づいていい。もちろん入信なんかじゃなく、バランスをとらせる目的で。
バランスを保っていないからカルトなのだという認識なく近づけば、入信せずとも知らぬ間にカルト支援に回ってしまうことになる。
前述のドキュメンタリー映画『A』と同じ。カルト信者の人間味などにフォーカスする必要などない。カルト信者だって人間なんだから、人間味を帯びているのは当然。
むしろ、精神の無垢さゆえにカルト堕ちしているのだから、一般人の誰よりも人間味にあふれ、一見良い人に見えるかも知れない。
そんな内面などどうでもよく、カルトの生み出した惨状こそ注目すべき。カルト信者の人格など多種多様でカルトの特徴ではないのだから。
「信教の自由」を連呼するエセ人権派が知らぬ間にカルト擁護に回っているのもこの構図。
カルト被害者の存在すら知らずに、一部のカルト信者の表面に騙され、バランスを取ろうとするから、カルトの悪を助長する結果になる。
個人の信者を見て、カルト全体を見ていない。自分の見た範囲だけですべてを判断してしまっている。そんなモノバランスでなく、極端に傾いているのだが。
本人は自分の自称中立的なモノの見方に酔っ払いつつ、既にカルトに取り込まれつつあるので、気づきもしない。
カルトを評価する際にはバランスなど必要ない。そもそもカルトがバランスを失っているのだから。