大阪大学からのメール返信
昨日の記事の続き。日本のエホバの証人公式ウェブサイトに大阪大学の教授の意見書が掲載されていた件。大阪大学から、私の苦情に対するメールの返信が届く。
メールの主旨は以下。
- 教授はインタビューに答えたが、意見書を出したわけでない
- 意図しない表現、誤解を招きかねない表現がある
- 上記2点、教授からエホバの証人側へ修正を依頼する
- 教授も大学も特定の宗教団体に協力する意図はない
大学からの返信メールにあった「誤解を招きかねない表現」というのはどれかと探してみる。
日本のエホバの証人公式ウェブサイトでは、この教授へのインタビューを独り語り風に仕立ててある。その中の一文。
エホバの証人の患者は礼儀正しく,協力的で,輸血に代わる医療について大抵よく知っています
他にも山ほどあるのかも知れないけれど、とりあえずここかなと。
その理由はエホバの証人特有の表現。エホバの証人が、自身の美徳を自称して書き連ねる時の表現にソックリ。つまり、エホバの証人側の偽造に近い改変なのではないかと思われる。
たいがいの良識ある大人は礼儀正しく、協力的。一部の連中がそうでないから、モンスター扱いされる。つまり、礼儀正しくなく、協力的でないのは特殊な連中。
しかし、そういった社会の常識の外にいるエホバの証人たちは、自分たちのことを特に礼儀正しく、特に協力的だと外部から見られたい、見られていると思っている、見られないといけない、と考えている。
神の民、神の証人だからという、連中なりの理屈があるのだが、実際のところは礼儀知らずで非協力的。自称している本人たちが真逆という、なんとも滑稽なコトになっている。
こう言うと、現役エホバの証人はいろいろと反論してくる。では、エホバの証人よ。結婚式のご祝儀袋に入れるお札の注意点とか、葬式の挨拶とか知ってる?
知らないだろ。知らなくても調べようともしないだろ。そこだよ。
そもそも、たいがいの結婚式とか葬式にはでないもんな。
それの、いったいどこが礼儀正しく協力的なんだよ?自分の都合の良いときだけ、礼儀正しく協力的な義の民でいるなんて、そんなご都合主義がまかり通るのはエホバの証人の中だけなんだよ。
「今の話は、病院の教授のインタビューで」、と話をごまかしてくるんだろうけれど、エホバの証人が礼儀と協力を自称したい、しているのは生活全般だろ。根っこの部分で話をすり替えるなよ。
あと、自称医療の専門家たる教授先生が、エホバの証人を捕まえて「輸血に代わる医療について大抵よく知っている」なんて言おうモノなら、専門家としての地位が危うくなる。
血液はダメだけど母乳はOK、血液はダメだけど血液の主要成分の分画なら輸血OKなんて、ことを言っている連中。そもそも、血液や医療についてトンチンカン。
私は詳しくないのだが、エホバの証人が主張している輸血代替の医療法には非実現的なモノがあるとかないとか。その辺は、この教授先生のほうが当然詳しいわけで。
さいごに。2024/11/1、本日時点ではまだ、当該教授の意見書は日本のエホバの証人公式ウェブサイトに掲載されたまま。以前として「意見書」のままだし、内容の修正も行われていないように見える。