エホバの証人の学校での信念戦争、創造論vs進化論、勇気の代償は?

学校で、あえて死地に飛び込むエホバの証人

昨日の記事に続いて、エホバの証人の週末の集会テキスト『ダニエルの手本から学べること』。

前半部分は、ダニエル君の若いときの逸話みたいのを、現代のエホバの証人の若者に無理やり当てはめて、精神を崩壊させちゃう話。

劇的にヤバい話が出てくる。

エホバの証人は創造論を信じているんだけど、科学的には進化論が至極妥当。なので、学校でも進化論を教える。

それに対して、エホバの証人の若者はダニエル君みたいに勇気を示して、創造論を主張せよ。という話。

バカですか?ただでさえ、学校で浮きまくっているエホバの証人なのに、さらにおバカなドン引き主張で、プラス5段階くらい浮かせようとしている。

浮きすぎて死んじゃうって。まあ、病みますわな。

教室で「創造論マンセー」ってやったエホバの証人の学生は、

「先生はよく聞いてくれました。そして,話すために準備していた資料をコピーしてクラス全員に配ってくれました」。クラスメートの反応はどうだったでしょうか。「みんな,一つの考え方として受け入れてくれて,褒めてもくれました」

はい、これは哀れまれているだけですよ。「可哀そうな奴キター。ヤベェ奴キター」。触らぬ神に祟りなし。

こんなことをしたら、外の世界での居場所を失うだけ

このエホバの証人の体験談は、エホバの証人が蔑みまくっている一般人の方がマトモだということを教団みずから証明している。

クラスメイトはドン引きしつつも、創造論を「一つの考えとして受け入れた」。エホバの証人は進化論を絶対否定するのにね。一般人のクラスメイトの方がマトモ。(痛い奴だと思いながらも)一つの考えとして受け入れたんだから。エホバの証人は絶対に進化論を受け入れない。

こういうと、エホバの証人は「進化論を指示している人の考えは尊重しますよ~」とガタガタ言い出す。

人の意見を尊重している人は、自分の真っ向からの反対意見を声高に主張しないって。エホバの証人は、進化論を絶対に何が何でも受け入れないんだから、尊重なんかしているわけない。

ほんの少しでも尊重しているんなら、もしかしたら進化論が当たっている部分もあるかも知れないという歩み寄りや可能性のカケラを残す。エホバの証人はそんなことしない。進化論は全面的に完全否定。

この例から分かる通り,勇気を持って行動する人は大抵,ほかの人からの敬意を得ることができます

この場合の勇気というか、蛮勇創造論マンセーは大抵、敬意を得られない。「アホや」と思われて終了。こうして、エホバの証人の若者は傷つき、世間から隔絶され、世界に適応できなくなっていく。

創造だろうと進化だろうとどうでも良いじゃん。下らないことにこだわってないで、他人や組織や親に強制されない、自分の望む生き方しろよ。

教団に言われたとおりにすると、自分を追い込むことになる。そうして自分の立場を悪くすることで、一般社会での居心地が悪くなる。そして、教団外での居場所を失うことになる。そうやって、教団外では生きていけない体質の人間に堕とされる。


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