エホバの証人の末端伝道者、布教時間報告免除の理由は?

エホバの証人、布教時間の報告義務免除はなぜ?

昨日の記事の続き。エホバの証人の末端伝道者が、103年ぶりに布教時間の報告義務を免除されることになった件。

今回の変更の理由を推測。

9月に宣教キャンペーンをやったのだが、結果が大したことなかった。その不首尾が明らかになることを避けるため、そして、キャンペーンをしたところで、これから将来にも伸びが期待できないため、時間の集計をするのをやめた。

時間報告をあいまいにすることによって、布教時間が減少しているのをごまかすのか、「全員から集計しているわけではないので、実際はもっと多いです」みたいな物言いにするのか、やり方がこすい。まあ偽予言者なのでね。当然だね。

果たして、そこまで考えているのか、単なる思い付きでやってそうなんだけど。

米国の宗教統治者たちのうちの一人が思い付いた。こいつらの多数決で方針が決まるので、声のデカイ奴の意見に流れて、末端伝道者の布教時間を集計するのをやめたとか。

ものみの塔協会の1975年の予言ハズシ、統治体の資質不足

布教時間報告撤廃は悪手なのか

教勢の減少を隠すためなら、今回の方針は本末転倒。実質の布教活動時間を減らすことになるから。報告させないのなら、活動量は減るに決まっている。そうでないなら、最初から報告させていない。

布教時間が減ると、当然、教団の勢いは減少する。新規の入信者も減るだろうし、既存信者の活動量が減れば、それだけ他のことに視野が広がる。教団外のことに目を向けることは、信者の脱会につながる。

結局、布教時間の減少を隠すため、体裁を保つため、見映えを保つための末端信者の布教時間報告義務の撤廃であったならば、対症療法にすぎない。教勢の弱体化という病巣を治すことなく、問題を拡大させる一手。滅びゆく組織にありがちな状態。

逆に

「アホな奴らに伝道させても何にもならん」

「カフェ奉仕なんかで引っかかる奴がおるわけないやろ!」

「それより、情弱な奴探してアプローチしろよ!」

という方策のもと、時間よりも質に振り切ろうとしているのだとしたら?

「SNSでカモ探して、チャットボットで対応した方がマシ」みたいな、的確な分析がされた上での決断なら、怖い一手ではある。

「末端の無能伝道者は、王国会館のメンテナンスでもしとけ!」くらいの英断。「どうせ誰も捕まえてこないから」と。

ここまで考えられているのなら、なかなかなのだが。

一番怖いのは「伝道時間報告させるなんて愚かでした。非聖書的な取り決めでした」と、真っ当に詫びられること。

さらに、「心からの伝道、実りある伝道こそがキリスト的です」みたいになると、盲信者たちのハートにまた火をつけちゃうことになりかねない。

その謝り姿勢を保たれて、体罰撤回からの輸血拒否撤回、統治体の正当性撤回、ハルマゲドン来ません。復活もしません。ごめんなさいって、謝罪繰り返されちゃうと、エホバの証人は真っ当な組織になっちゃう。

そうなると、こっちの振り上げた拳の下ろしどころが無くなっちゃう。「エホバ」って名前もインチキだから謝罪の上、撤回くらいまで行ってくれれば、エホバの証人消えたってことで良いんだけど。


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください