エホバの証人の週末の集会レポート
エホバの証人の週末の集会、研究記事17(2024/7/1-7)『みんなでエホバを崇拝できるのは幸せなこと』。1ヶ月ほど前の分だが、集会レポート。昨日の記事の続き。
1919年に,エホバに仕える人たちは大いなるバビロンから解放されました。その後,エホバを安心して崇拝できる環境が世界中に広がっていきました
これはウソ。1919年もデタラメ。1919年以降にエホバの証人組織は体罰という児童虐待を推奨し、組織内で児童性虐待が起きている。
イザヤの預言に書かれているたくさんの素晴らしいことは,将来新しい世界で文字通り実現することになっています
なってねぇって。インチキ予言者が何言ってんだよ。
私たちは「食べ」,「飲[み]」,「喜ぶ」ことができます。
それとは反対に,エホバを崇拝しない人たちは,「飢え」,「喉が渇[き]」,「恥をか[き]」ます。エホバと親しくなることができず,心が満たされていないからです
これは、私においては事実とまったく逆。
エホバの証人2世であることを強要されていたときには、自由を渇望し、カルト信者であるということで恥をかいた。エホバの証人をやめてから、心が満たされ、人生における些細なコトを喜びと感じられている。
今エホバは聖書や出版物,ウェブサイト,集会,大会などを通して,まさにそうしてくださっています。私たちは信仰を強める食物を毎日受け取ることができているので,十分に養われ,爽やかにされています
エホバの証人は、全然爽やかじゃないよ。大量に塔情報を供給され盲信を強めているだけ。頑迷な狂信に囚われた者が爽やかなはずがない。
聖書の教えや慰めとなる約束,キリストの贖いに基づく希望によって,「心が晴れやか」になります。こうしたことを兄弟姉妹と話す時に,私たちは本当にうれしくなります
嘔吐感を禁じ得ない、信者の気持ちを決めつけるいつもの塔論調。キリストの磔という贖いかなんか知らんけど、グロテスクで気持ち悪いって。そんなモノで「心が晴れやか」にはならない。そんなムダなことを誰かと話して、うれしくなるか?この塔論調は信者の気持ちを決めつけ誘導するためのモノ。
本当の幸せを味わいたいと思うなら,エホバを崇拝する人たちの仲間に加わって,自分でそれを味わう必要があります。世の中の人にどう思われたとしても,兄弟姉妹から愛され,エホバから良い評判を得られるということを忘れないでください
「本当の幸せ」ってギャグかよ。カルトが何言ってんだよ。
「本当の幸せを味わいたいと思うなら」という条件付き。幸せになりたいなら、言うとおりにしろという脅迫と強制。カルトの手口。そんなことで「本当の幸せ」が得られるはずがない。
「世の中の人にどう思われたとしても」と、世間から隔絶させ、孤立させ後戻りできなくさせるカルトの手口。「世の中の人に」悪く思われているエホバの証人の「兄弟姉妹」に愛されたところで何の得にもならない。エホバなんていう架空の存在から良い評判を得られるはずもない。
“エホバの証人の週末の集会テキストにツッコミ、カルト討議の内容とは?” への1件の返信