体罰全面禁止の国のエホバの証人

体罰の悪影響

体罰は身体的な痛みだけでなく精神的な痛みを伴う。みじめさや恐怖心は子供の心の成長に悪影響を及ぼす。これは科学的な調査によって明らかにされている。アメリカ合衆国で2002年に発表された体罰の研究成果がある。

体罰を受けて育った子供は、その時には親の言うことを聞くという一時的「効用」があるが長期的には

  • 攻撃性が強くなる
  • 反社会的行動に走る
  • 精神疾患を発症する

などの副作用があることが分かっている。

これはまさにエホバの証人2世としてこらしめというを暴力を振るわれて育った私にまさにあてはまっている。精神疾患は辛うじて免れていると思いたいが、私は攻撃性の強さと反社会的行動で20代を走り抜けてしまった。

体罰を受けて育った子供は言葉や社会性の発達にもはっきりと遅れが見られるのである。体罰には良いことなど何もないのだ。日本は違うのだが体罰を法律で禁止している国が世界に52ヵ国もある。

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唯一の真理とは程遠いエホバの証人

エホバの証人2世の同級生

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。禁止事項の多いものみの塔協会の教義を厳格に適用され幼少期から少年期を過ごすことになった。14歳になる年に自分の意志でエホバの証人をやめる。そしてエホバの証人2世だったことなど素知らぬ顔で高等課程へ進学したのだった。いわゆる高校デビューである。この学校は自宅から1時間ほど離れていて私のエホバの証人2世だった過去を知っている人はほとんど進学していなかった。

しかしこの学校には他の中学校からエホバの証人2世が進学してきており、偶然にも同じクラスに2人も2世信者がいた。1人は献身までしているという。どうやら私が元エホバの証人2世であるということをあちらも知っていたようだが、特別に私にエホバの証人という関係性で接触してくることはなかった。こちらとしてもそれは大歓迎だったので素知らぬ顔でいることにしたのだった。

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エホバの証人2世の悪夢

エホバの証人2世の願い

私は生まれながらのエホバの証人2世だった。14歳になる年に自分の意志でエホバの証人をやめる。もう集会に行かないと告げた14歳の夜以来、異常に熱心なエホバの証人だった両親と心を割って話したことはない。そしてこの日から既に23年という月日が経過した。それにも関わらず未だにものみの塔協会に関わる悪夢で目覚めることがある。

今朝もそうだった。設定は毎回微妙に違うのだがだいたいは私がエホバの証人をやめると両親に告げるまさにその瞬間である。エホバの証人をやめたいとは小学校の高学年の頃から考え始めていた。それをやっと実行できたのが中学2年生の秋だった。エホバの証人をやめる、集会にも伝道活動にも二度と行かないと決めてからなかなかそれを両親に言い出せなかった。この頃は本当に辛かった。

嫌々ながら伝道活動で見知らぬ家の呼び鈴を鳴らし、仕方なく王国会館に通い続けた。最悪な日には王国会館で壇上に立って”割り当て”られた朗読と講演の真似事をしなければならなかった。無為に若い限りある時間を浪費しているという実感があった。

しかも私はハルマゲドンが近いうちに必ず勃発するというマインドコントロール化にあったので時間に関しては異常にシビアな感覚を持っていた。私に残された時間は尋常でなく少ないと思っていた。ハルマゲドンが勃発し”この世の事物の体制”と私自身が葬り去られるまでに何とかエホバの証人をやめ、今この瞬間を自分の願いそのままに生きたいと思っていた。自分の願い通りに生きたことなど生まれながらのエホバの証人2世だった私には無かったからである。

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ものみの塔協会にとって都合の良い便り

お粗末神エホバ

エホバの証人は知らずに行ったものみの塔協会の教義に背く行為については許されるという傾向がある。子供が知らずに鯨肉を食べてしまったなどという場合は両親とちょっとしたお祈りをしておとがめ無しである。エホバの証人は体外に流れ出た血を汚れたものとして避けなければならないのだが、その血を避けるという本質よりもものみの塔協会の教義に従うということを優先しているのである。

これがものみの塔崇拝ということである。輸血拒否までして死んでしまうことを要求する危険なカルトである一方、ものみの塔協会の血の教義を知らなければ許されるという矛盾がある。この矛盾は無知は無罪の教義がものみの塔協会の創作だからである。

ものみの塔協会のことを知らない間に喫煙しようがいかなる不貞を行っていようが問題はないことになっている。エホバの証人はそんな人の所へも臆せず出かけていき洗脳の世界へ引きずり込む。知らずに行っていたものみの塔協会の教義に反する行為は全て許されるのだ。ものみの塔協会の教義ではエホバの証人に出会わぬままにハルマゲドンを迎えれば、この大艱難を生還出来ることになっている。自身の行いを悔い改める機会がなかったからである。

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エホバの証人の地獄行き片道切符

危険な輸血拒否カード

エホバの証人はものみの塔協会の輸血拒否の教義を頑なに守ろうとする。そのため輸血拒否カードというものが使用されている。エホバの証人はこのカードを首からぶら下げたり財布の中に入れたりして携帯している。このカードにはご丁寧に輸血を絶対にしないでくれという要望が記載されている。万が一に自身の意識が無い状態で病院に緊急搬送された場合を想定しているのだ。

身元を調べるために本人の荷物を調べたときにこの輸血拒否カードが出てくるというカラクリだ。医療関係者はこのカードを見てしまった以上勝手に輸血をすることが出来ない。輸血が生命維持の分岐となる場合には、このカードがあるために本人は輸血を受けずに記憶が戻らないままそのままお亡くなりになることになる。地獄行きの定期券である。エホバの証人たちは特に何も考えないままにこんなに恐ろしいカードを喜んで首からぶら下げているのである。

このカードは子供も同じように持たされている。私もエホバの証人2世をやめるまではこのカードを携帯していた。この状態で意識不明のまま輸血が必要な状態で病院へ搬送されるという事態になっていたらと考えると寒気がする。そのまま死んでしまっても何の文句も言えないのだ。

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輸血拒否というブラックジョーク

進むも地獄引くも地獄のエホバの証人2世

私は物心ついた頃からエホバの証人2世として育てられた。両親はとても熱心なエホバの証人だったので子供の私にもものみの塔協会の教義が厳格に適用されていた。この子供の頃の話だが私は腕を骨折してしまった。もう30年も前のことになるが私が小学校に入る前のことである。

この骨折の手術に輸血が必要になった。両親は当然のように輸血を拒否した。私もそれに同意しているとされていたのだが、小学校に入る前の子供が両親と違う意見を表明するのは難しい。しかも死にかけている状態なのだ。そんな元気はない。輸血をされて生き残ったところでエホバの証人2世の子供はエホバの証人組織から排斥されることになる。愛する両親から背教者扱いされるのである。私は両親の言いなりになるしかなかった。

命がけのものみの塔崇拝

頑固に輸血拒否する両親に従い医者は輸血無しで私の手術に臨むことになった。この手術が成功する確率は五分五分だと言われていた。輸血をすれば簡単に成功する手術なのである。それをあえて50%の勝負に挑んだのである。私と母親は泣きながら神エホバに祈り、その甲斐があった訳ではないが私の手術は何とか成功したのだった。

この五分五分の手術は失敗しても命に関わるわけではなく骨折そのものが完治しないだけだった。しかしこの頃の両親は子供の命に関わるという場合でも輸血拒否をしたはずである。子供の命よりもものみの塔協会の教義を遵守することを選ぶのだ。

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自殺好きなエホバの証人

エホバの証人が輸血拒否する理由

両親は熱心なエホバの証人で私も物心ついたときには既にエホバの証人2世として育てられていた。その子供の頃に腕を骨折したことがあった。今から30年も昔の話である。小学校に入る前のことだ。その骨折の手術に輸血が必要になった。

ものみの塔協会は信者のエホバの証人に輸血を禁止している輸血イコール排斥処分となる。排斥とは破門のようなことで排斥処分となるとエホバの証人社会では村八分状態になる。エホバの証人が輸血を拒否するのはものみの塔協会が輸血を禁じているからである。ものみの塔がなぜ輸血を禁止しているかと言うと聖書に動物の血を食べてはいけないと書かれているからである。

これは主に旧約聖書に書かれている事項である。ものみの塔協会は神とイスラエル人との古い契約を現在の現実に強引に当てはめているのである。動物の血を食べる、血抜きをされていない生肉を食べるということは紀元前の人々にとってある種致命的なことだった。

現在のような冷蔵保存技術や食肉の加工解体技術がないのである。食中毒で一族全滅という事態も充分にありえた。”無駄死に”を防ぐための施政的な決まりである。日本でも明治時代までフグを食べなかった。そんなレベルの話なのである。その食血という概念を何処までも厳格に解釈してものみの塔協会は医療輸血も禁止してしまったのである。

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検索窓に打ち込まれたエホバというキーワード

なかなか来ない終わりの日

私はほぼ生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。両親はものみの塔協会に忠実で非常に熱心なエホバの証人だった。私は14歳のときに短い人生の意義はものみの塔協会や神エホバの指図に従うことではないと悟りエホバの証人をやめた。これ以降エホバの証人2世だったことは私の人生の恥部となった。

小学校の季節毎の行事を禁止されその都度教室の端で見学していたこと、大きな手術を受けることになった5歳のときに輸血が必要になったのだがエホバの証人として両親と共に断固輸血拒否をして不毛にも五分五分の手術に挑んだこと、そのときに涙ながらに神エホバに救いを祈り求めたこと、そういった全てが私にとって隠すべき恥ずべきことだった。

エホバの証人をやめた当初はまだ洗脳下にあり天に神エホバは存在するし、神による世界の終末も間近だと思っていた。じきに私は滅ぼされるのだと信じきっていた。死ぬまでの短い生命をいかに生きるかということを考えていた。この20代前半の頃にインターネットで残りの者の数を調べたようとしたことがあった。なかなか終わりが来ないからだ。避けていたエホバの証人というキーワードを検索窓に打ち込んだのである。そしてものみの塔協会の抱える様々な矛盾がネット上で暴露されていることに私は気付く。21世紀になったばかりの頃だ。

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バプテスマのさなか膨らむ妄想と水着の下半身

エホバ証人のバプテスマとは

エホバの証人の世界にはバプテスマという組織に対する献身の儀式がある。この儀式のポイントはエホバの証人組織に献身するということなのである。建前は神に身も心も捧げるということになっているのだが、実際はものみの塔協会の言うことを妄信的に信じ命も捧げることも厭わないという覚悟の表明となるのである。輸血拒否の教義がある限りエホバの証人は輸血の是非が生存の境界となる場合には組織に殉ずる限り死ぬことになる。交通事故などには充分注意して頂きたい。

このバプテスマはエホバの証人の年に何回か開かれる大会という大規模な集会で行われる。その地区で新たに献身する信者が集められ、大会のプログラムの中で献身にまつわる話がなされる。その後で実際にバプテスマとなる。信者は全員水着に着替えバプテストの男性にお姫様抱っこをされて一瞬プールの水の中を潜らされる。髪の毛一本たりとも水の中から出てはいけない。全身を潜らせなければ失格となる。

献身するのに”ふさわしくない”人の場合は何度やっても体の全部を沈めることが出来ないというエホバの証人の都市伝説がある。神や聖霊によってバプテスマが妨害されているということなのだが、ただの迷信である。エホバの証人の誰かがでっち上げた話である。

この大会は市民ホールや大きな展示館などを借りて行われる。そこにプールを持ち込んで水を張ってこの儀式を行っているのだ。全くご苦労なことだがホールの運営側に許可を得ているのかどうかは不明である。エホバの証人は神のご意志”に沿っているという前提ならば社会的な法規や契約などは簡単に無視する集団である。危険なカルト集団である。大きなホールを貸し切るのは簡単ではないので、バプテスマ用の水を張ったプールの使用を断られたとしても無視して強行するはずだ。

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排斥というエホバの証人の死刑宣告

エホバの証人の排斥とは

私の父親はエホバの証人をやめる前は会衆の長老を務めていた。自宅には長老宛ての手紙が日本支部だかベテルだかから何通も送られてきていた。王国会館での集会で読み上げられる発表される内容の手紙もあったが、内密に”と指示されている機密文書もあった。それには会衆内の信者の排斥処分に関わるものも含まれていた。他にも不合理な指示や良く考えると納得の出来ないものもあったのである。

エホバの証人は教義に反した疑いがある、ものみの塔協会の戒律の禁止事項に反していると認定されれば組織から排斥処分となる。疑いがある場合は2人以上の証人がいればクロとみなされ、審理委員会という強権的な場で一方的に裁かれることになる。輸血をしてしまった不貞を働いたなどはもちろん、喫煙を目撃されてもアウトである。

背教じみた行動をしているというような微妙な場合にも厳しいジャッジが下される。組織の中で出る杭は打たれるのである。ものみの塔協会が発行している書籍以外の聖書関連の本の所持もアウトとなる可能性も高い。それがキリスト教に対する熱心さゆえでも関係ない。

上の人間に目をつけられると組織を追い出される可能性が高くなる。細かいことを指摘されて排斥処分となるのである。上層部との人間関係を上手く保っていればセーフとなるケースもある。有名人は良い宣伝になるので排斥されないという説もある。この排斥処分を決定するのは神の意思ではなく単に人間の好き嫌いなのである。

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